2011/08/21

t f B! P L
十九歳くらいのとき、なんだかあやしい(失礼)貿易会社の社長が、趣味で編集長をつとめている同人雑誌みたいなものの編集室に在籍したことがある。

在籍と言うと聞こえがいいし、ほかに言いかたがないからしかたないのだが、ようするに素人の雑誌に素人がコラムを書いて安い(また失礼)お給料をもらっていたのだ。

編集部にいたのは、前述したようにふだんは貿易会社社長である編集長をはじめ、登山家、イタリアンシェフの卵、OL、二児の母、塾講師など、どうがんばって観察しても「文章を書くのが好き」以外に共通点を見出せない変わり者ばかりだった。僕はいちばん若かった。

いわゆるカルチャー誌みたいなもので、映画や音楽(僕は洋楽担当だった)、ファッションなどのサブカル系もあつかうし、ワインや腕時計などのちょっと大人なシュミを特集することもあった。BRUTUSを20倍くらい安っぽくしたフリーマガジンで、僕も何度か巻頭を任された。

製本されたら編集長の取引先やおのおのの知り合いに配るくらいのもので、布教活動はまったくしないような、言ってしまえばほんとうにシュミの世界のひとが好き勝手かつ譲りあいの精神でもってつくりあげるスーパー自己満足な雑誌だった。いまでいうZINEとかフリーペーパーとかを想像してもらえればたすかる。

編集部にいたひとたちの共通点を、さらにむりやりほじくり返すとすれば、「変わり者」になるだろうか。血液型診断にしたがっても、たしかに七人中六人がAB型だからしょうがない。

職場(と呼べることがうれしかったので僕はそう呼んでいた)は率直に言ってそうとう愉快で、たとえば編集長が、
「モップ業者が入れ替わったから、新しいモップが入ったぞー」
と意気揚々と編集室(と呼べることがうれしかったので、ただの事務室だが僕はそう呼んでいた)に入ってくると、すかさず僕が、
「すげぇ! 今度のモップはファッサファサだなぁ。ファッサファサァ!」
と歓呼の声をあげる。

すると登山家のヤスイさんが「ポンポン」と僕の肩をたたく。ふと横に目をやると、編集長がプルプルとふるえている。僕は察する。

「すみません。毛の話題は今後からひかえます」

僕は実直に自分のあやまちを認め、編集長に詫びいった。そんな『毛(もう)言わん事件』がまずある。

じつは編集長だけでもけっこうなはなしのタネがある。ほかにも
「れおくん、この機械動かせる?」と編集長が僕に訊いてきたので、
「はい、できますよ」と答えたら、編集長は
「助かったよ〜。重要書類だから」なんて笑いながら、紙がシュレッダーに飲みこまれるのを見送り、こう言い残した。

「コピーは一部でいいからな」

と……。

そのあと「重要書類」がどうなったのかはさだかではないし、じっさい編集長はけっこうな目にあったらしい。この話題はしばらく禁句のテーマとなった。

そうそう、こんなこともあった。
「れおくん、今年はなんの年だかわかる?」と、とつぜん編集長が僕に尋ねたときのはなしだ。
「わかるわけないでしょう。バカなんですかあなた」
自分の事務所のシュレッダーとコピー機さえ判別できないのは無論でバカだと思っていたので、付きあいきれねぇと判断し、僕は昭然たる思いで白旗を手早く振って降参した。
「ヒントは…あれ!」(ドアを指さす)
編集長はなおもクイズをたのしみたがっているようだが、残念なことに僕にはこのいいかげんなヒントで答えがわかってしまった。
「あー、ドアーズのジム・モリソンが死んでからちょうど40年ですね」
そう、ロックスターに関わることならついわかってしまったのだ。洋楽担当だったし。
「いまのヒントでわかる君も、そーとーなもんだよね」
「ほっといてください。ジムは僕の憧れですから」
しかし編集長はこの後も依然として僕に出題してくる。「私が何を言いたいか、、わかる?」

わかるんだな、これが。

「ジムの巻頭特集ですか? ドアーズの記事なら以前に書いた気もしますけど」と僕。そう、編集長はジム・モリソン没後40年の特集を組もうとしていたのだ。しかし、僕のセリフにあるように、以前ドアーズの特集は僕がちゃっかりやってしまっていた。それでも編集長はのんきに「いいのいいの。どうせそんな熱心なファンはウチの雑誌にはいないんだから」と言う。

それはプロモーション体制がろくに備わっていないこの編集室のせいだとおもうのだが、あまりにもそう思ったのでつい口にだしつつも、「あなたがプロモーションもろくにやらないからでしょう? で、何ページ書けばいいんですか?」と、僕は了解した。お金もらえるしね。へへへ。
「来月号は夏フェスの特集もやるから、写真込みで六ページでいいよ」

けっこうな量を書かせるじゃねぇか。

このときの僕のあたまのなかには、ジム・モリソンやレイ・マンザレクのイラストをデカデカと掲載して文字量を減らすことしか考えていなかった。が、ちょっと思いついたことがあって、

「わかりました。ついでにジミヘンやカート・コバーンや、ロバート・ジョンソンについても書きますか? みんな27歳で死んだ音楽界の偉人ですよ」と提案した。すると編集長は、「ああ、頼んだ。そういえばブライアン・ジョーンズやジャニス・ジョプリンも27で死んでることで有名だな。特集はジム・モリソンじゃなくて27歳で死んだミュージシャン特集にしようか」

すかさず僕は返す。「編集長の娘さん、今年で27でしたよね」

「やっぱやめよう」

編集長と関わってきたなかで最短最速の返事だった。やっぱやめることになったよ、俺の巻頭特集ぅぅぅ。

とまぁ、愉快な編集長のもとにつどった年齢も職種もバラバラな七人で、たのしくやっていた。いま思えば、僕の「本をつくる」という考えの根底にあるものは、みんなあの編集室から生まれたのかなぁ。

あ、ちなみに、その編集室、財政赤字でなくなりましたっ。ほんとうにお世話になりましたっ。いまはなんか弁護士事務所がテナントに入ってますっ。近くをとおるたびに哀傷と憂愁がこみあげますっ。


なお、編集室の撤退時に登山家のヤスイさんのデスクからカツラの支払い明細がでてきたという逸話は、本当なのか、編集長のくやしさから生まれた嘘なのか、いまもって真偽不明ですっ。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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