いいから手を動かせ!

2011/11/13

t f B! P L
突然ですが僕はいま、ロサンゼルスにいる友達に手紙を書いている。「手紙」という、もはやある意味では古風な響きになってしまったこの古来よりの通信手段が、僕は非常に好きである。

手紙を通じて文通している人と、Eメールを通じてやりとりしている人は、どちらが多いかと訊かれれば、それはもう圧倒的にメールである。なにせ僕はもっぱら現代っ子だ。ものごころつくころにはすでにパソコンなる機械が一家に一台とまで浸透し、僕自身、自分のユーザーページを持てばすかさずフリーメールのアドレスを取得し、無限のハイパーリンクで遊び、ホームページなんかもまがりなりにもつくったりし、とにかくインターネットという環境を幼いなりにも楽しんでいた。

しかしご存知の方がどれくらいいるかは僕にはわからないが、僕は実は根っからのアナログな人間である。メモをとるとなれば携帯電話ではなく、使い古したメモ帳を取り出し、調べものをするとなればWebサイトを使うのでではなく図書館で文献をあさる人間だった。その点、僕にはデフォルトとして手紙への愛着のようなものがあり、この歴史ある(どのくらいあるのかは浅学にして知らないけど)ツールに好感を抱いていた。メールの普及により手紙の実用性がみるみる失われていく、といった嘆きのような声はむかしからよく聞くが、僕は時代の移り変わりに比較的革新的な態度をとっているので、古き良き習慣が時の流れとともに淘汰されていくのは、さびしくはあるが毛嫌いはしない。

とはいえ、手紙を書く、という行為は楽しい。それはもう本当に楽しい。僕は話をすれば長くなり、文章を書けば長くなるタイプの人間なので、ひとことひとことメールでやりとりをするということは(まぁその手軽さが便利なところもあるんだけれど)少し煩わしいというか、七面倒くさい側面が少なからずあった。それならば、自分の近況とか、最近あった他愛もない話とかを、長々と手紙にしたためるほうが、個人的には楽しかった。手書きの字で便箋が埋まっていくという感覚は、心地良く、気持ち良く、達成感があった。

しかしもともと僕は文章を書くことが好きではあったものの、手書きというものがそんなに好きではなかった。なぜなら字が汚かったからだ。まさにミミズの仮装行列とも言うべき僕の字は、漢字の練習帳ではお決まりのように先生の赤字を頂戴し、書道の授業ではクラスでワーストクラスの酷さだった。しかしけっきょくのところ、自分の書いた字は自分で読めた。だからとくに練習することもなく、汚い字のまま毎日を過ごしていた。そして転機は訪れる。

僕は14歳で、中学2年生だった。僕は期末テストの勉強をしようと家庭科のノートを開いた。しかしここで大変なことに気がつく。   「読めない…」    いままで自分で読めていた字が、なにが書いてあるのかまったく読めなかった。いま思えば家庭科の授業なんてものは僕の好奇心を特にくすぐるものではなかったので、とりあえず板書をグダグダとノートにメモしていたせいかもしれない。しかしこれでは勉強ができない。当時の僕はまだ作曲したりとかベース弾いたりとかしていなかったので、学校の勉強と司馬遼太郎の小説を読むことだけに日々を費やしていたようなものだった。そんな僕にとって期末テストで悪い点をとって成績が落ちるのはひどく哀しいことだった。結果的に僕は第一志望の高校に合格することになるし、そのワンランク上の高校にも余裕でいけるくらいの成績を入試でとることになるから、そんな不安は小さなことだと思うけど、思春期の僕にそんな達観できる余裕はあるはずもなく、そのときはなんとか友達のノートを借りてことなきを得た。

それからというもの、僕は不要な紙(保険便りとか学年通信とかの裏の白紙の部分)を使って、ひたすら字の練習に努めた。大好きだった司馬遼太郎の小説を読めないことも厭わず、ひたすら字を書いた。そして結論から言うと、半年後に僕のノートは大変貌を遂げることになる。

職員室ではいつのまにか僕の字がうまくなったとささやかな話題を呼び(これはあとから聞いたことだから定かではない)、クラスのなかにはノートに自分の名前を代わりに書いてくれないか、と頼み込んでくる子もいた。代筆である。緊張するけどなんだかうれしかったのを覚えている。おそらくはこのときからだろう、僕が手書きで長い文章を書くことを楽しいと思えるようになったのは。ナルシスティックかもしれないけど、他人から認められているぶん自分の字を見るのはうれしかった。正確に言えば、ヘタクソだった僕の字を思い浮かべて、それと比較するいまの字の上達ぶりがうれしかった。

また話が長くなってしまった。ともかく、こういう変遷があって、僕は手紙を書くということが好きだ。もちろん、メールにはないファクターがあるということもたくさんあるのだろうけど、人並みにうまくなった自分の字を惜しみなく披露できるのは悪い気はしない。さらに手紙には、「軽々しくない」というひとつの形式張った要素があり、これも僕の興味を刺激する。書くには覚悟がいるし、それはつまり書き終えたあとのやりきった感もすごい、ということだ。極めつけに、投函してから相手の返事を待つまでのあのなんともいえないワクワクが、僕はたまらなく好きなのだ。

…なんて書いているともうこんなに時間が経っている。これでは書きたいことはまとまっているのになかなか進まない。いいから手を動かせ、俺!

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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