【感想】譚詩曲~11stories on Violin / 花井悠希

2011/12/29

感想

t f B! P L
なんだかものすごいいまさら感というか、ここへ来てそのテーマを出すか、と言われたのですが、最近クラシックに興味があります。興味があるだけで、ハマってるわけじゃないんです。っていうか、どこから手をつけたらいいのかがわからないので、とりあえず僕の敬愛する村上春樹さんの小説に出てきたやつとか、母のオススメ(母はクラシック・ファンです)を聴いたりしてます。あと友人のキーボーディストの一ノ瀬蘭ちゃんに教わったりしてます。

僕はこれまでも曲がりなりにも音楽ファンを名乗ってきたし、ポップ・サウンドの勉強もしてきました(いまでもしてます)。でも、ことクラシックやジャズになると弱くて、実際ジャズ・シンガーとか片手で数えられるくらいしか知りません。僕は作曲の一環として、自分の求める音楽にはどういうファクターが必要なのかを追究してきました。そんで、好きな音楽を選り好みしてるに過ぎないこともなんとなくわかってきました。ロックは好きだし、パンクもグランジもオルタナも好きだ。ジャズやクラシックは苦手で、ファンクやブルースはよく聴く。スクリーモやハードコアは持ってるけど、レゲエやヒップホップは詳しくない。そういう状況で、もしここで新たな世界の扉を開いたら(大仰な表現だけど)、作曲の幅も広がるんじゃないか! 打開すれば、景色が違ってくるんじゃないか! と思って、これです。
前置きが長くなりました。花井悠希さんの「譚詩曲~11stories on Violin」。実はこのCDは発売日にレコード店に買いにいって、それからずっと持ってたんですけど、案の定というかクラシックに疎い僕はたまにBGMにする程度で、もっぱらおざなりになっていました、ので、これを機に一念発起じゃないですけど聴いてみようと思いました。ここまで書けばもうおわかりでしょうけど、専門的な考察はいっさいありません。僕がそんなにクラシックに詳しくないことはいままで書いてきたとおりです。ですので、a Blink(ひらめき)にしたがって感想として書きます。

まず、このアルバムに限らず、ひとつの作品ってただ流して聴くのと、「さあ聴こう!」と思って聴くのとでは受けとり方がだいぶ違うんだと実感しました。以前ブログにも書きましたが、僕は「なにかに書くつもりで聞く、書くつもりで会う、書くつもりで読む。それだけで、情報を吸収する感度って格段に上がる」という持論をもっていて、それって音楽にも通じるなあと。実際こうして文章にする前提で曲を聴くと、目を閉じたときに広がる風景がまったく違うと気づかされました。

タイトルに表題されているとおり、ヴァイオリンが紡ぐ11編の物語、といったらなんだかありきたりな表現だけど、的を射ていると思う。それぞれの曲がどの時代にどういう背景でかかれているかなんてほとんど僕は知らないし、たぶんそういうのって勉強してから聴くようなものでもないと思うので、予備知識はナシで。全体を光りの矢のように貫いているのは、神秘的で、幻想的で、ミステリアスで、アブストラクトで、初めて異国に足を踏み入れたときのような心が震える緊張感にも似た旋律。そういう不慣れな世界のなかに、どこかひっそりと顔を出すノスタルジアがある。さっきの異国の喩えを踏襲するなら、初めて降り立った地が、実は記憶のないくらいむかしに何度も足を運んだことがあった、みたいな感じ。見たことない、けど感じたことがある、たしかに、僕はここを訪れたことがある、でも、こんな場所は知らない。そういう既視感と未視感の逆説的な観念が作品の随所に感じられました。

たぶん──これは僕なりの考察なんだけど──そういう“初めてのようで初めてじゃない”というイメージは、何年も前、小学生だった僕が「ダレン・シャン」とか「サークル・オブ・マジック」とか「どろぼうの神様」とか「竜の騎士」とか、そういったファンタジー小説にどっぷり浸かっていたときの、あのあどけない憧憬や、心許ないスリルや、先の見えない幸福が想起されたからなんじゃないかと思っています。つまり、思春期になって、ファンタジーから手を放して司馬遼太郎さんの歴史小説に没頭したり、心理学に夢中になって専門書を読みあさったり、あるいはいま村上春樹さんや平野啓一郎さんに心酔していることだったり、それらの自分の興味の変遷の過程で失われていったファンタジーの世界観が、こうして花井さんの音を通してよみがえってきた、ということなんじゃないかと。大切な箱に入れて記憶という物置部屋の奥にしまって、忘れかけていた童心や冒険心が、不意に湧きあがってきたようで、いまはそのホコリに塗れた表面をそっと指でなでている、ような気分。ある意味、タイムカプセルみたい。宝物だったなあ、あのころは。

ライナーノーツに花井さんのインタビューが載ってたので、それによると、たぶんこれってオムニバスの部類に入るんでしょうか。霊的というかオカルトな空想世界やファンタジーをテーマにジャンルの垣根を超えて選曲されていて、こういうパッケージのしかたもあるんだなあとすごく勉強になったり。ヴァイオリンの音色については詳しいことはわからないけれど(無知でごめんなさい)、やわらかな旋律のときはつつみこむような優しさをもっていつつ(M-8:『グリーグ:過ぎし春 ~《2つの悲しい旋律》より』)、力強く排他的ともとれる暴力性も兼ね備えている(M-10:『坂本龍一:千のナイフ』)。それでいて、やっぱり雰囲気は聴き手の想像力に任せられるルーズさもあって、どこまでも自由に空を広げてゆける懐の深さがある。「この曲の本質はこれ!」って突き出されてもつまらないですよね。だから空想の物語はあくまでも果てしなく空想であって、聴く人によって、あるいは聴く時間によっても、音色に浸る一瞬一瞬に感じることが変わってくるんだと思います。

僕がこのアルバムに収録されている11曲のなかで知っていた曲って「アヴェ・マリア」とケイト・ブッシュの「アーミー・ドリーマーズ」しかなくて(『嵐が丘』を歌っていた、クラプトンやジェフ・ベックとも共作した彼女ですね)、さっきも書いたようにバックグラウンドはまったく知らない状態だったんですけど、不思議なことにこの11編の多様さと鮮やかさは伝わってきました。音楽ってこういうときすごい。最初に聴いたときはぜんぜん気づかなかった。あとほとんど関係ないけど、ケイト・ブッシュをデビューさせたのがピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアだとは知りませんでした。もっと勉強します…。

それから、とってもよかったなって感じたのが、ブックレットに記載されている文月悠光さんの詩。「物語よ/この目の奥でまどろんでいて。(M-1『ピアソラ:アヴェ・マリア』)」「朝がくるのは/目覚めたからではなく/夜が眠ったせいなのだ。(M-6『プロコフィエフ:ソリチュード (ヴァイオリン・ソナタ第1番へ短調第3楽章)』)」抽象的で、文学的で、叙情的で、背徳感もあって僕がとても好きな詩でした。ときには詩でありながらも哲学の域に達しているものもあって、我ながら情けないなあとは思いつつもただひたすら感動しました。詩と一体になったとたんにメロディに限りない奥行きが生まれる。作詞家のはしくれとして見習いたいです。よく見たら僕と同い年…! これはがんばらなければ…! と自らを鼓舞したりも。

とにもかくにも、まともに聴き入ったクラシック・アルバム(でいいんでしょうか?)ではおそらく初めてであろうこの記念すべき1枚は、僕を不思議な叙情詩の世界へ連れていってくれました。これから少しずつクラシックや、その他の苦手なジャンルも掘り下げていこうと思います。…ふう、なんか慣れてないジャンルだからか文体が敬語口調になってしまったぞ。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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