訃報フォルダ

2012/09/17

t f B! P L
こんなことを考えたことがある。もしもなにかしらの理由で僕が予期せぬ死に方をした場合、その訃報はTwitterなんかにはきっと行き渡らないだろうな。

僕が死んだことは家族親族や仲の良い友達に知れるはず。数少ない友達を義理だのなんだので葬儀に呼んで、彼らのなかで僕は死んだ人となる。ここでいったいどれくらいの人が泣いてくれるのだろうということもしばしば考えるけども、余談になるので今回ここではしない。

とにかく、SNSに疎い両親が、僕の死をFacebookはおろか、Twitterにまで書きこむなんてことは考えられない。そもそもSNSのアカウントなんて実の両親に見られたいものじゃない。とはいえ、「いつもTwitterで仲良くさせてもらってる顔も知らない人たち」は、僕が死んだことはいっさい知らされることはなく、いっこうに更新のない、けれども存在だけはある僕のアカウントのことをどう思うのだろう。この人、このごろずっとつぶやいてない、やめちゃったのかな、でもアカウントは削除してないよな、なにがあったんだろ。永遠に心配は心配のまま。そしていつか雲散霧消する。

それってなんだか複雑な気分だ。ソーシャルだって、交友関係には変わりないのだから、せめてやめるときはきちんとやめるとケジメをつけて終えたい。「いままでありがとうございました、これからはよろしくできないけども」同期の友達にいっさい相談せずに学校を辞めた僕が言えた口じゃないけどね。

でもけっきょくのところ、どうやったってそれは叶わない。Twitterで僕は、ドロップアウトしたかのようにいなくなって、フェードアウトするかのように忘れられていく。たぶん何人かは心配してくれる。その心遣いだけ、僕はもらうことにする。もっともそれは「急死」の話であって、死期がわかるようであればきちんとお世話になったTwitterやらTumblrやらネット世界の各所々々に書きこみくらいはするけどね。



ところで、現在存命中の母の携帯電話には、「訃報フォルダ」なるものがある。もしもある日とつぜん自分の身になにかが起きて、結果的に死ぬようなことがあれば、このフォルダに入っているアドレスにだけ連絡してくれればいい、と。

母は、家族葬を望むような人だ。たいした関係もないまま、なんとなく顔見知りなだけだとか、家が近所だとか、PTAで付きあっただけだとか、夫の会社の関係者だとか、そういう義理だけの人間関係に、自分の葬儀で死に顔をさらしたくない。それくらいなら、身内だけでひっそりと死んだことにしてほしい。それが母の希望らしい。

なるほどなあと思う。僕だって葬儀なんて行いたくない。信頼をおける友達なんて数えきれる。中学の同級だとか、高校の後輩だとか、もう久しく会ってないのに、そんな義理だけに死化粧を見せるのは、なんだかいやだ。



そんなわけで、先ほど携帯のアドレス帳から「訃報フォルダ」を作成しました。“そのとき”になれば、僕の望む人にだけ、僕の死が知らされるシステムになりました。「DEATH NOTE」のLみたいだね。聖書に記された終末のラッパは、いつ吹かれるのか!

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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