同窓会じみたパーティと会場に置いてきたバスドラム、あと自分のなかにある音楽のポジション

2013/05/03

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高校のころ僕がローディ(あるバンドに対して後輩にあたるバンドのこと)をやってたバンド・Lynx Eyedのドラムの高橋くん(つまり僕の先輩のバンドマン)が、実家のお好み焼き屋を継ぐために音楽活動から身を引くと聞いて、バンド仲間でパーティを開いた。

高橋くんの引退(っていうとなんだかおおげさな表現だね)を教えてくれたのは、牧矢くんという、高橋くんとおなじくLynx Eyedのメンバーだった。Lynx Eyed自体はもうライブはしてなくって、牧矢くんと高橋くんは別々のバンドで活動をしていたんだけど、そのへんちょっと話がややこしいですね。2人は仲が良かったので頻繁に連絡をとっていたそうで、このたび高橋くんがバンドを辞めると牧矢くんに電話をしたことから、今回の企画が始まった。

なにしろ牧矢くんはむかしから顔が広く、いろんなバンドにコネが効くので、むかし対バン(ライブイベントで共演すること)したメンバーに連絡をとるのはけっこう簡単だったみたい。もちろんなかには連絡先がわからなかったひともいたみたいだけど、すくなくとも僕の知ってる高校時代のバンド仲間はだいたい再会できた。ひっさしっぶりー。

サークルや部活動なんかと違って、僕らがバンドで活動していたコミュニティって、実はとっても広い。通ってた高校に軽音楽部みたいな便利な場所はなかったし、地元の市内にもライブハウスなんていうシャレた建物はなかったから、名古屋とか、ときには静岡とかまで行った。田舎じゃライブなんてできなかった。

僕が(正確に言えば僕と当時のバンドメンバーが)牧矢くんという人物に出会ったのも、もとはといえばそういう経緯があった。まだ中学生で、ライブハウスに初めて出演する僕らは、右も左もわからないままに名古屋のライブイベントに応募した。そこがそもそも、なんというか、アブナイ場所だった。

対バンした大人のバンドの方たちは、いいひとそうに見えた。でも、ステージが終わって打ち上げに行くと、そこは中学生みたいなコドモがいてもいいような場所じゃなかった。というのも、なんせ打ち上げでテーブル越しに人の体が飛んでくる。グラスや一升瓶がカチ割れるパリィィン!という音が罵詈雑言とともにひっきりなしに飛び交い、ひと勝負はじまるんじゃないかとピリピリした店内だった(実際ちょっとはじまってた)。僕らは、隅の席で縮こまって、オレンジジュースをチビチビと飲んでいた。こっちもこういう場は初めてで、「おさきに」のひとことも言うタイミングがわからなかったのだよ。

そんなとき、つまり、どうしようここチョー怖い、とビクビクしてたとき、声をかけてくれたのが、そのとき対バン相手のひと組でもあった牧矢くんと高橋くんだった。


「今日はありがとう。ライブは初めてなんだよね? こいつらちょっとアブナイけど、俺らがふだん付き合ってる連中はもっとおだやかなヤツらだから、よかったらこんどそこでまたライブしない?」


こういういきさつで、僕らは牧矢くんや高橋くんのいるLynx Eyedのローディとして、活動できる足場をもらえた。いまいっしょにバンド組んでるメンバーだって、そこで知り合ったひとばかり。あのとき、コワい打ち上げの席で牧矢くんと高橋くんに声をかけてもらえなかったら、僕はベースなんてとっくに手放していたに違いない。

そういう強い縁と大きな恩があるので、今回の高橋くんの引退パーティにはぜひとも参加したかった。ようやく足場も落ち着いたので、まぁ、息抜きってことで。

パーティっていっても、広い部屋でギター弾いたり、お菓子食べたりするだけの簡素なものだった。それでも、死神屋敷とか、Robin's-egg Blueとか、リバティ・ダイスとか、ゼブラズとか、ラフレシアとか、懐かしいバンド仲間が勢ぞろいで、同窓会みたいだった。

近況はそれぞれ。就職したヤツ、進学してるヤツ、フリーターしながら音楽事務所やレコード会社にデモテープ送ってるヤツ……エトセトラ、エトセトラ。僕らは当時、基本的にメールアドレスを交換しなかった。「バンドやってたら、どうせまたどっかで会えるっしょ」っていう暗黙の認識みたいなものがあって、本名も連絡先も教えずに、いっしょのステージで演奏して、打ち上げで盛り上がって、それでバイバイ。実際もういちど会う機会は高校時代はほんとうに多かった。連絡先を交換する必要なんてなかった。「ヤッさん」とか「マキヤくん」とか、みんなが呼んでる呼び方でおおかたパスできた。だからいまとなってはFacebookで探しようもないし、僕の本名だって、知ってたバンド仲間はあんまりいないんじゃないかな。まぁ、牧矢くんはいろんな人の連絡先を知ってたみたいだけど。

とにかく、そんなつながりの薄い僕ら連中を、その広い顔とコネで一同に会させてみせた牧矢くんの弾くアコースティックギターにのせてうたいながら、最近気になるバンドのはなしとか、買ったCDのはなしとかで、パーティは高橋くんを中心に進んでいった。

もともと高橋くんは、25歳になったら実家を継ぐと、ご両親と約束してたらしい。彼の叩く8ビートはほんとうに気持ちよくて、僕は大好きだったから、当然ながら名残惜しい。せめてもういちどライブハウスで聴きたかった。こうなるって知ってたらな。スケジュール合わせて観にいったんだけどな。

最後には本人から「俺ゆかりの品が当たるビンゴ大会」なるくだらない催しものが開かれ、5番目にビンゴになった僕はバスドラムを単品でいただくことになった。要らないです。せめてスネア、いやハイハット、いやキックペダル、なんならドラムスティックくらい軽量化してください。

結果的にこのクソデカいバスドラムはなんとかもらわずに済んだのだけど、みんなそれぞれの人生ってやっぱあるんだよね。高校時代に、年上も年下も関係なくギターと歌でおんなじライブハウスを満員にするためにビラ配りや路上ライブに明け暮れてたときの、あのなんつーか若々しい後先考えないノリじゃいけないんだな。もうおなじ方向だけを向いて歩いてるわけじゃない。音楽との関わり方も含めて、自分もなにか考えなくちゃ。

けっきょく、僕らは牧矢くんのコネでこうして5年ぶりくらいに集まれたけども、だれも連絡先を交換しなかった。「またどっかで会えるよ!」って、あんときとおなじ暗黙の認識だった。どっかで会えるし、おなじ空の下でギターと歌があれば、それでいいんじゃない?っていうのが、総意だった。

青春そのものだったバンドの、そのなかでもとくにお世話になったひとが、音楽を辞めちゃう。それはとても哀しい事実だし、それはとても名残惜しい現実なのだけど、こう思う。つまり、10代のころに集まった連中といちど別れてからは、おなじ場所でおなじ面子で集まるなんて、不可能なんだ。仕事とか家庭とかを抱えていくんだろうし、「あのころのように」は100%の再現度を持ってはくれない。だからこそあのときあの瞬間ってすんごい大切だったわけで。バンドは卒業式みたいな明確なイベントがないぶん、「気づいたらべつの場所にいた」ってなりやすいんだよね。ひとりまたひとりと離れていって、顔をあげればだれもいない、みたいな。そしてだれもいなくなった。

ううむ、そう考えるとあのバスドラム、もらっといたほうがよかったのか………いやいや、あんなおっきなの要らないよ!

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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