【感想】天国はまだ遠く(映画)

2014/12/29

感想

t f B! P L
原作は瀬尾まいこさんの小説。以前に読んだこともあって、レンタルショップでタイトルの背表紙を見つけたときに思わず手が伸びた。彼女の小説は好きだし、印象にも残っていたので、どんなふうに映像化されているんだろうとゆう興味がそもそもの発端。「せつなくもあたたかい、大人の恋愛ファンタジー」ってゆうコピーはいかがなものかと思ったけども。

もともと僕はこうゆう抑揚のないテンポで進むのんびりした映画が好きで(『阪急電車』なんかまさにそれですね)、逆に死、あるいは死に限りなく近づいた状態(病気とか悲劇とか)で感情を揺り動かすものは苦手みたい。だって感動して泣いちゃうのがわかってるもの。この映画は仕事や人間関係に疲れた女性が自殺するために山奥を訪ねることから始まるけれど、結果から言えば自殺は未遂に終わるし、最初の大きなテーマであるこの「死(自殺)」という概念は、映画全体を俯瞰する際に、物語のメッセージをより強く主張するために用いられているので、決して自殺を試みる(死に近づく)ことで感動を煽っているわけじゃない。むしろ生きることに向けてに心を浄化するためにこれほどのシチュエーションはないはず。

加藤ローサさん演じる千鶴は、服装だったり、序盤に見せる田舎への不慣れさだったり、まさに都会のOLといった風貌で、社会に対してうまくがんばることができない現代人の悩みや憤りを等身大の大きさで体現してる。「なんとかなんてならないよ!」ってゆう台詞はリアリティがあったし、しぐさのひとつひとつが可愛らしくて(前髪をふぅってしたりね)、主演としてとてもいい演技をしてる。

いっぽうチュートリアルの徳井さんは「民宿たむら」のおおざっぱな主人に上手に溶け込んでる。お笑い芸人が俳優をやることについては、否定的な意見がよく聞かれるようだけど、この映画においては徳井さんは見事に役にハマってる。芸人さんだからこそ演出できるガサツさや荒けずりさもあるんだろうし、徳井さんのそれらと、この映画に求められるそれらが幸福に呼応したんだと思う。会話の掛け合いで見せる絶妙な“間”はさすが芸人さんだなあって感じた。タイミングがすばらしい。

クスリとくる会話がいろいろなところに隠れていて、そのなかに自殺の話題をしばらく引っ張ってくる田村さんの無骨でざっくばらんな性格と、慣れないものに逐一反応する千鶴の繊細でとぼけた性格が交差して、対照的な2人のやりとりがおもしろい。すれ違って、共鳴しあって、でもやっぱりどこか合致しない考え方があって。それは2人以外にもきちんと表れてる。久秋が帰るときに特急を見送って鈍行に乗ろうとする描写や、おばあさん役の絵沢萠子さんのサバサバした演技、直接的に交錯することはないにしろ、観ているとそうゆうところにも都会と田舎それぞれで暮らす人々の相違が感じられて、映像の美しさや舞台の奥ゆかしさをより深く伝えてくれた。それにしても久秋役の郭智博さん、いかにも“都会で働く人!”って感じで、徳井さんとはまるで違った男のイメージがこの映画の魅力をさらに引き立ててるなと。

田村さんが自給自足で、鶏を絞めたり魚を釣ったり野菜を育てたり、そうやって暮らしているのは、「ちょっと山おりたとこ」に「なんでもある」ってゆう町の生活から、できるだけ自分を離したいのかなあって。買いものに行くときの2人の会話、「眼鏡橋のことを教えてくれたらよかったのに」と言った千鶴に対し、「着替え買う気になったんやで、もうええやろ」とお茶を濁した田村さん。原作にはない田村さんの過去を、この時点で暗示している。あえて眼鏡橋のことを口にしなかった田村さんの過去は、後半に差しかかるあたりで一気に出てきて、そろそろ忘れかけていた千鶴の自殺未遂とあいまって、「生と死」を抱えながら生きる2人の人間の姿を映し出していて、これがエンディングの眼鏡橋につながるんですね。原作にはなかった壊れたピアノのエピソードも、よく混ぜたよなあって思うくらいにいい味出してるし、設定に忠実な千鶴の絵も大事な役割を担ってる。逆に原作にあった、「この辺の人らは新米をおかずにして、古い米食うぐらいや」のエピソードは、大好きなシーンなだけに観たかったなあなんてわりと強く。

原作に陰日向ない別れのシーンは、この物語を象徴するかのようなすばらしい演出で、田村さんのぶっきらぼうな一面と、そのなかに潜むあたたかい一面をうまく両立させてる。もしこの物語が、「自殺しに山奥を訪ねた女性が民宿の主人と恋に落ちる」なんて話だったら、安いB級映画みたいな作品になってたと思う。田村さんは彼の大事な過去を見つめなおすことができたし、千鶴も自分の戻るべき場所を確認することができた。まさしく漁船に乗ったときに千鶴が言った「お互い、どっちにもイイ感じ」。

「ここにはなんでもあるのに、なんでそれだけではあかんのやろなあ」 これは星を見あげる田村さんの台詞。いまの日本に完全に取り残された田舎なんてない。都会も田舎も、必要なものであふれていて、それでも人間は自分にないものに憧れて、ないものねだりもして。だけどもけっきょく、自分の居るべき場所はあって、そこに行かなくちゃいけない。ただ、“居るべき場所に居ること”を教えてくれるものは、一度その場所を離れてから、初めて気がつくのかもしれない。


最後に、エンドロールのあとで田村さんが千鶴の泊まった部屋に絵を立てかけるシーン。最初は、僕は田村さんにはあの場面では笑っていてほしかった。実際に徳井さんが演じているのは、なんとも複雑な表情をしている田村さんで、そこだけがずっと腑に落ちなかった。田村さんは千鶴が来るまでずっとひとりで暮らしていて、彼女が帰ったあと、またひとりであの“過去”を背負いながら生きてゆくのかな、って考えるのは僕にはとてもつらかった。でもこの映画は、田村さんが千鶴に与えるだけではなく、同時に千鶴も田村さんにお返しをするってゆう、ギブアンドテイクがあったんだなって。表向きには「都会から逃げてきたOLが田舎の民宿の主人に癒される」ってゆう話なんだけど、それは逆でもあり、千鶴の言った「お互い、どっちにもイイ感じ」は、けっこう重要なひとことだったんだなと。いまは亡き婚約者のことを思いながら、千鶴のことも思いながら、彼はずっと生きていくんだろうけど、電車内でお土産の野菜袋から千鶴がみつけた「民宿たむら」のマッチ箱は、田村さんが「ひとりで生きてゆく」わけでは決してないことを物語っているよね。最後、とても素敵な終わり方だったと思います。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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