一九九六年のGLAYのヒット・シングルの、JUJUさんによるカバー。CMソングとしても話題になったし、カバー・アルバムをリリースしたあとの彼女の新たなカバー曲ということでも注目を集めた一曲。
音源として聴いて、はじめのうちはあまり好きにはなれなかった。彼女のカバー・アルバム「Request」を聴いたあとということもあり、もっと壮大なストリングスにピアノと彼女の歌声が絡みあうドラマティックな曲を予想していたし、当時の僕は実際のところそうゆうアレンジを期待して聴いたと思う。それが、好きになれなかったおそらくの理由。
この「BELOVED」は、しとやかなピアノにあたたかみを含んだギター、曲の要所で心に沁みいってくるやわらかなストリングス、その中心に彼女の歌声が上品に座っている、といった感じだった。最初に僕が期待した、胸が高鳴るような華々しい楽曲には仕上がっていなかった。
何年かまえの夏にこのCDを購入し、その期待とのギャップにいくらか落ち込みながらも、また「シングルなんだからもっとお金使って贅沢なアレンジをすればよかったのに」などとひとりごちながらも、たまに思い出したように聴いていて、この曲はこれでいいんだと思ったのがその年の冬のこと。
いくら期待はずれだったとはいえ、大好きなGLAYの楽曲が、こうも表情を変えてうたわれるのは不思議な感じがしたので、しばしば聴いてはいた。ただ、GLAYの原曲とJUJUさんのカバーとに感じるそれぞれの人生を覗くことができたのは、ある日、GLAYの楽曲「Winter, again」を聴いていたときだった。
「Winter, again」は、文字どおり冬の曲で、かいつまんで言えば「故郷である函館に雪が降り積もった白い景色、それをあなたにも見せてあげたい」という歌なんだけど、何度も聴いていたはずのその歌が、ふいに「故郷」というキーワードで「BELOVED」とつながった。思えば、故郷を離れるとゆうことを我が身として強く意識しはじめたのは、この冬だった気がする。愛着のある土地をあとにする寂寥感を、僕はGLAYの楽曲に重ねていたのかもしれない。
函館から上京し、音楽と向き合う日々。思うように羽は伸びない。大切な人とすれ違ったり、遠く故郷にいる旧友や家族を想ったり。それでも少しずつ自分たちの存在が認められていくにつれ募る不安、周囲との距離感。“流行”という「夢から覚め」ても、大切な人ヘの気持ちは忘れない。GLAYの「BELOVED」には、そういった彼らの人生の歴史と決意とがそのまま描かれていた。その影をそのままJUJUさんのカバーに映そうしたから、僕はあんな期待をしたのだと思う。大好きなGLAYとおなじものを、JUJUさんに求めていたんだ。そんなの身勝手でわがままな期待じゃないか、いまとなっては強く思う。
JUJUさんの「BELOVED」にもまた、彼女の人生が描かれていたんだ。そう意識したとたん、僕は彼女のうたう「BELOVED」が素敵な歌に聴こえた。それ以来、このカバーがとても気に入るようになった。十代で単身ニューヨークへ渡米し、あてもなにもない外国の生活で音楽だけを志して、四苦八苦しながら向き合う日々。そんなとき、海の向こうの祖国から聴こえてくる流行りの歌は、きっと彼女にはこのCDのままに映っていたのだろうと思う。壮大で、ドラマティックなわけじゃない。控えめな音でやさしく響く心地良いメロディ。それはおだやかで、ぬくもりのある、郷愁の大事な意味だったはず。
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