ちょっとだけ気のきいた文章を書くために僕が気をつけている4つのこと

2015/11/15

essays

t f B! P L
最近、っていっても高校生のころだから、もうだいたい6年くらいもまえからなんだけど、それでも20余年の人生にしてみればギリ最近のカテゴリーに入ると思う。とにかく最近、「君の書く文章、上手だね」って頻繁に言われる。ひとによっては「文才だよ!」とまで褒めてくれる。それはとても嬉しいし、自信にもなるのだけど、僕にはきっと文才なんてものはなくて、ちょっとほかのひとよりも文章を観察する癖が早いうちからついていただけなんだと思う。小説を読んでいても、「俺ならこうするな~」とか「この表現はもっといい形容があるはずだ」なんて思うことはあるから、それをいざ自分でアウトプットする際にうまく応用できてるってこと。だからいい機会だし、自分の文章を見直す面もふくめて、僕が言葉を書くときに気をつけていることを書いてみようかと。

ーーーーー 

1. 句読点を好きなように活用する。

好きにっていっても、乱暴に句読点を無視したり、やみくもに句読点を入れるってわけでもないんだけど。日本語って書き言葉の文法的に好ましくない箇所に無理やり句点を入れて文章をぶった切るのもときにおもしろいといつからか気づいた。たとえば「欠点はいっぱいあるんだけれど、それでも」とか「僕が彼らを慕うようになったのには、そういう理由があるわけで」とか。いまのふたつの例文って両方とも続きの言葉を書いたほうが“文法的には”好ましいはずだし、べつにあとにあとに続く言葉が思い浮かんでないわけではないんだけど、そこに句点を入れて文章をスッパンと切ることによっておもしろい余韻とかお手軽な読後感とかをのこせる気がしてる。

強調したい部分だったり、とくに自信をこめて書いておきたいところだったり、そういうところの直前には思い切って読点をぶちこんでみるのも効果的。比べてみるとわかりやすい。「挑戦するにはちょっと早すぎた」と「挑戦するにはちょっと、早すぎた」では、印象や主張の比重がだいぶちがって感じとれる。

あとリズム感。音読に限らず、黙読でもリズム感は大事だと思ってる。「そう考えるとワクワクする」と「そう考えると、ワクワクする」、読点を入れただけでもリズム感は違ってくるし、主張したい部分を色濃くするという意味でも使いこなせたら便利。ただ、小学校で「息継ぎをするところに読点を入れなさい」って教わったけど、アレは違うと思う。言葉の“間”を大事に使うだけで、息継ぎなんて肺活量で個人差がある。

リズム感といえばたとえばなにかを否定するだけでもね。「~けど」「~だけど」「~だけども」「~だけれども」という初歩的な4つの日本語を僕らはみんな無意識に使ってる。ぜんぶどこで使おうが意味はいっしょだけど、これらのうちのどれを使うかで、文章のテンポって格段に変わる。これまで紡いできたセンテンスを、ナチュラルな文字数の流れでつなげられる。もちろん使いかたに失敗すると字余り/字足らずにはなるんだけど、この4つは口語体ではよく使うので、意識すればブログやメールなど、カジュアルな場所ではたくさん出番がある。


2. 漢字とひらがなの自分ルールをつくる。

これはしばしば言われていることだけど、意外と注意しているひとは少ない。でもこれを意識したら文章から受ける印象ってめちゃくちゃ変わる。漢字があるなら漢字で書けばいいっていうものでもないし、実際に本を読んでいると、必ずひらがなで使われている言葉はたくさんある。あるいは、どれだけすばらしいことが書いてある文章でも、漢字とひらがなの使いかたが残念でしかたないこともある。

たとえば僕には「トキ」を漢字とひらがなで使い分ける明確な基準がある。英語で“Time and Space(時空)”を表すときは漢字で書き、それ以外(英語でwhen~になるときなど)はひらがなで書く。具体的には、「トキが経てば話すよ」「トキの流れに身をまかせ」は漢字、「ちょうどそのトキ」「むかし若かったトキ」はひらがな。だからNHKでやってた「その時歴史は動いた」は僕の価値観で言えばちょっと首をひねっちゃうわけです。

参考までに、僕がひらがな表記する言葉を列挙すると、上に挙げた以外だと「事/こと」「様な/ような」「来る/くる」「分け/わけ」「内/うち」「程/ほど」「物/もの」「方/ほう」「全部/ぜんぶ」「中/なか」「位/くらい」「所/ところ」「置く/おく」「今/いま」など。これらには基本的にひらがなを使う(漢字を使う際のボーダーももちろんある)。「昨日/きのう」「今日/きょう」なんかは、次に続く語が漢字かひらがなかで表記を変えてる。このエントリーをここまで読んで、「なんでココ漢字にしないの?」とか「これの漢字って小学校で習ったじゃん」とか思ったひとがいればするどい。それらはぜんぶ僕の主義みたいなポリシーみたいな、とにかく文章を書くときの信念にそってあえてその表記が選ばれています。

わかりやすい例で、GARNET CROWの「夢みたあとで」って名曲があるんだけど、これもしも「夢見た後で」だったら、読みにくいし字面も悪いし圧迫感もあってぜったい売れてないと思う。AZUKI七さんは「夢」の次ぎにくる助詞“を”を省略したから、ひらがなで「みた」としたんだと思う。そういう言語感覚は意識すれば自然と身につくから、ふだんのこころがけしだい。

あと松たか子さんの「明日、春が来たら」もそうで、読点を打つことで明日と春を上手に分離した好例。

「漢字が続くことで圧迫感を出す文面は避ける」ことはほんとうに意識してる。「私結構卓球楽しかった~」って漢文の試験問題みたいで見にくいですよね。僕は「私けっこう卓球たのしかった~」のほうが好きです。

カタカナもいいもんだよ。僕には「適当」と「テキトー」や、「携帯」と「ケータイ」を使い分ける基準もある(簡単なので考えてみてくださいね)。読点を入れて離したり、次の語をひらがなやカタカナにして離したり、とにかく漢字の単語はできるだけ続けざまに使わないようにしてる。そうまさにこの場面で、僕は「漢字の単語は極力続けざまに」と書こうとして、読みにくいなと思って「極力」を「できるだけ」に変え、「漢字の単語はできるだけ続けざまに」と書きました。こういうところで語彙力って役に立つ。言葉は知っておいて損はない。


3. 自分なりの言葉遣いの基準と世間一般のそれ。

これは「ぜんぜん(全然)」がいい例になる。よく「ぜんぜん」のあとには否定後がこなければおかしいと言われているけど、「全く、然り」の意味を考えたら、肯定文で使っても問題はない。「ぜんぜんだいじょうぶ」「ぜんぜんオッケー」は文法的にも正しいし、辞書にも「非常に」の意味で掲載されている。

これのどこが注意するべきかというと、やっぱりまだ「ぜんぜん=否定表現」の価値観で考える人が多いこと。いくら文法的に正しかろうと、マジョリティが支持するほうに時代は流れてゆく。自分が「ぜんぜんは肯定表現で使っても問題ないんだ!」と主張しようが、圧倒的に多くの人が「ぜんぜんのあとは否定でしょ?」と思っていれば、自分の主張は大海の一滴にすぎない。もちろん少数派から運動が生まれることは歴史的にも多い事例だけど、正誤問わずに、通俗的な表現が生き残っていまの日本語がかたちづくられたのは事実なわけで。

好き勝手に流行語を片っ端から広辞苑に登録しろなんて無茶なことは言わない。でも、誤った用法であろうと、大衆化したらそれは多勢という名の正解になる。「あれは間違ってる。俺はこう思う」を、エゴとバランスをとりながら主張として展開するの、とても難しい。ようは自分の価値観と世間的な価値観との距離を、どううまくとっていくか。あんまり文法ミスのあらさがしをして、重箱の隅をつつくようなひとって、正しくても好きになれないもんね。

だからいちおう、正しい文法で文章を書くように心がけはする。「ぜんぜんだいじょうぶ」も気になるひとが多いから、場面によっては使うのを避ける。でも、いざツッコまれたときに、きちんと自分の主張として、言葉を選んでいる基準は説明できるようにしておかないと、困ることになる。


4. 学問と精神は分離してたほうがカッコいい!

いままで書いてきたことの根本にはこの考えかたがあって言葉を選んでるんだけど、たとえばこういうはなし。

ふだんからいわゆる「古き良き日本語」の美しさを研究しているひとがいたとして(古き日本語がほんとうに良き日本語なのかについてはまたべつの持論があるけどいまは無視します)、そのひとが「むかしの日本語は美しいです。だからわたしは日ごろから旧仮名遣いで話しています」なんて言ったところで、なんにもおもしろくないし、カッコよくない。むしろくずした、カジュアルな日本語を使っていたほうが好感がもてる。この場合「学問」が「古い日本語の研究」で、「精神」は「くずした日本語」なわけですね。自分の仕事と分離したところで正反対の言葉遣いをするひと、僕はあこがれるしカッコいいと思う。

医者の不養生じゃないけど、僕はそういう考えがあるから、文章に関わる者としてできるだけかた苦しい日本語は使わないようにしてる。だからなかには「もっと文学を志す者らしい言葉遣いをしろ」と言ってくれるひともいる。それはそれで反論として成り立たないこともないんだけど、そもそも文学らしい言葉遣いってのがよくわからん。崇高そうな難解そうな、非日常的な言葉ばかりが文学じゃない。僕の文学は、そういうのじゃない。

「〜〜なのだけど」と書くのがほんとうは正しいんだろう。でも僕はこう書く。「〜〜なんだけどね」って。そのほうがカジュアルだし、学問から分離したところに精神があるような気がするから。話し言葉と書き言葉の区別はしっかりしているつもりだし、そこをあえて踏みはずして、話し言葉を書き言葉として文字に落としこむおもしろさを僕は知ってる。だからまえの意見「文学を志す者らしい言葉遣い」をわざと避けてつかってるだけであって、僕は「文学を志す者らしい言葉遣い」ができないわけじゃないんだよ。

もちろん場面々々によって使い分けることも必須になってくる。職場の上司と話す自分と、高校の友達と話す自分、どっちもおなじ言葉遣いじゃいられないしね。例に挙げた「くずした日本語を話す古典研究者」も、目上のひとと話すときはちゃんと丁寧な日本語を使うだろうと思う。ただふだん、自分のなかでも生活でいちばんおおきな割合をしめる自分において、そういう言葉遣いがあってもおもしろいんじゃないかとも僕はまた思ってるわけで。





ということで、いっこいっこ長くなったけど書き出してみれば意外と少なかった。でも少なくとも僕はこの4点を強く意識しながら文章を書いている。もちろんほかにも小ワザやちょっとしたテクニックはいくつもあるんだけど、大きくわけたらこの4つ。これがまったく正しいということはないし、これを実践したとたんに劇的な変化は望めないと思う。あくまでこんど自分でブログやメール等の文章を書く際の参考にでもなれば、さいわいです。

このブログを検索

自己紹介

自分の写真
好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

お問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ