あいちトリエンナーレ2016、松坂屋美術館「藤子・F・不二雄」展、栄・矢場町おばけ屋敷「だるまさんがころんだ」に行ってきた。
たまにしか更新しないブログで、さらにたまにしか書かない日記のようななにかを書くことはひさかたぶりで、いろいろと感覚を模索しつつになるけど、まぁ備忘録的に書こうかと思う。
あいちトリエンナーレ2016。前回のトリエンナーレはもろもろの都合があわなくて行けなかったので残念な思いをしたし、昨年の新潟でやってた美術祭も行きたい行きたいと言いつつも距離的な行けなさがまさったので今回は待望の。
彼女のお父さんがどうやら前回の(僕が行けなかった)トリエンナーレの企画にたずさわっていたらしく、興味があるんですと伝えてもらったらチケットをくださった。コネクションってやつだ。
モダンアートっていうとオルタナティブで難解な意味問答を強いられる作品が大多数を占めているという印象を受けるけど、まぁじっさいそんなもんだ。ガイドブックがないと「なんなんコレ?」で済ませたくなる展示はたしかにいくつもあるけど、そこに推察や拝察の余地があるわけで。そこがキモなわけで。作家がどんな意図をしてつくったかも、もちろんそれはそれで大事なことなのだけど、それをどう感じるかとか、さまざまな有象無象を考慮して受け手が出した結論とかはかならず肯定されるべきでもある。ようは「なにこれキモーい」さえもきちんとした考察だってこと。
いろいろと思うところはあったけれども、心象としてグサッときたものを2つ。
まず竹川宣彰さん。
「戦後」という現実を忘れ、未開の地を求め宇宙へ向かおうとする人間と現代社会を、昔話の「さるかに合戦」に投影して再考した作品。いわゆる風刺画ってやつ。
まぁなにかとユーモラスに描くのは風刺画としては常套句ではあるけども、なるほど、突出した色彩のポップネスと、個性のつよいタッチ(アンディ・ウォーホルのイラストみたい)は、戦争ってテーマをどこか忘却させる逆説的なおもしろみがある。
個人的には、さるがかにを解剖してる絵が好きだった。かにがね、さるの頭部から操作しながらかにの解剖をしてるんだけど、じつは頭部でコントロールしているかにのなかに黒幕のさるがいるの。スパイ・イン・ザ・スパイ、って感じで、戦争とか戦略とかってそういうのが隠れてるよなー、と。
そしてオスカー・ムリーリョ。
展示室はおおきく2つに分けられる。オスカーの作品と、世界各国の学校でまなぶ子どもたちの絵。グラフィティチックなものがオスカーの作品。教室の机にカンバスをひろげて思考のままに描かれたものが子どもたちの作品(こっちは手にとってさわれる)。
案内のお姉さんいわく「オスカーと子どもたちのそれぞれの作品が、どう違うかを感じとってほしい」とのことなのだけど、個人的には選択肢とか志望候補とか可能性とか、そういったものかなぁと。
というのも、オスカーの作品は基本的にグラフィティというか、記号的な円や線で描かれていているのに対し、子どもたちはアニメやマンガのキャラクターや、意味をなす文字列(中国語だったり英語だったり)だったのが気になって。
たぶんオスカーにはもう記号的表現しか残されていなかったんだと思う。対となる子どもたちには、記号のほかにも文章や絵が残されていて、記号だけで表現する理由がなかったのかな、と。大人になると天井が見えるとは聞くけども、子どもには天井が見えないぶん可能性が山積みにあって、そこが決定的な違いだと思ったよ。
もちろん批評家からしたら的外れな見解かもしれないけど、さっき書いたように僕があれこれとひっくるめて出した考察は否定される義理ないのであしからず。
はい、つぎ。親子丼とプリン(どっちも名古屋コーチン)を食べたら松坂屋美術館だよ! 藤子・F・不二雄展! すでに長くなっちゃったからパッパといくよ!
原画展といえば、僕のなかではコンサートみたいなもんだ。製本された作品がCDなら、原画ってのは表現者の息づかいが生々しく聞こえるライブだ。そこにはありとあらゆる喜怒哀楽や生活感があるし、キレイなものがもとめられる芸術とかそのへんの分野には不要な現実味がある。
カラー原画は何年たっても褪せない(色も感動も)があるし、えんぴつで書かれた章題やメモ書きはほんとうに生々しい。そこが、ふだん見れない作家の日常でもあるし、ふれあえることが多幸そのもの。ドラえもんも21エモンもだいすきですからね。
各界の著名人やゆかりのある文化人の書いた色紙。ほんとうに先生は愛されていたんだなと心の底辺まで伝わってくるし、人柄も素敵だったんだなと。とくに枡野浩一さんの「ドラえもん あなたがいると いうことが 未来があると いうことだから」という一首が心にささった。ドラえもん短歌だいすきです。
どこでもドアもくぐってきました。
最後! おばけ屋敷。
ぜったいに行きたくなかったこの場所。友達から「あそこはヤバい」とさんざん聞かされてきた場所。毎年「またやってるよ」と冷めた目で通りすぎてたあの場所。まさかそこに足を踏み入れることになるとは。いや、だって彼女が行きたいっていうから…。
最終感想から言います。肝っ玉が氷結しました。
もうね、怖いとかそういう次元じゃなくて、魂が浄化されたいとか、精神追い返してここで死のうとか、そういう意味不明な感情が脳内をぐるぐるぐるぐる。1人で入ってたら間違いなく足がとまってた。まぁ、恋人同士にはいいかもね…。
「おばけには触れないで」というのは、裏を返せば「おばけから触りに行ってもダメ」なのであって、僕は動かない模型の幽霊(?)に対して「動かんといてな? さわるで?」と精神の限界値から虚勢を張っていた。
アナウンス「そのまま前へお進みください」
わたし「はい」
言葉じゃ表現できないし、言葉で表現しようとすると恐怖がフラッシュバックするのでカンベンしてください。ヘタレでごめんなさい。
ちなみに、20分もかからないおばけ屋敷に3時間くらい並びました。夕方とはいえ、暑いのは暑い。まぁでも肝は冷えたからチャラなのか…? もう二度と行きません。彼女に「手つないででほしい」とお願いしてたけど、手どころか抱きあってないとふつうに心もとないです。もう二度と行きません。
もう二度と行きません。
そんなわけでスラスラスラッと書きなめしたけどようするに楽しかったです。たまにはこういう日記ぽい投稿もいいもんだ。
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