有形無形おもいで保存形式

2017/04/01

essays

t f B! P L
出会いと別れとはよくいったもので、世間さまに乗っかって僕もちょっとしたお別れをしまして。

まぁ3月から4月とかけてラジオの番組改編期でして、あたらしい番組はじまるなーとか、あーこの番組終わるのかー、みたいな悲喜こもごもの季節がやってきたヤァヤァヤァ。

こないだ好きな某FM局の2017年度のタイムテーブル見てて、なんだあんまり変わる番組ないじゃん安心安心〜と思っていたところに、いっこ気づいたことがある。

「あれ、あのひとの名前なかったな?」

もっかいタイムテーブルを見直す。月曜から日曜のおはようからおやすみ、ちょっと夜更かしまでくまなく見返す。ない。めっちゃ好きだったパーソナリティのかたの名前が、いっこも。

あわててそのひとのブログまでひとっ飛び。するとどうやら、3月いっぱいをもってラジオ局を退社される、と。

ブログにはそのひとがなにを考えて辞めるに至ったかとか、今後なにをしていきたいとかが本当に飾りもなにもない生きた文章として書いてあって、それ自体はそのひとの人生なんだし勝手にやってくれ応援してるよ、って感じだった。

でも、もうラジオつけてもそのひとはいないんだというのが、強烈なくらいさみしい。

なんだろう。これがもし「好きだったバンドが解散する」とか「ファンだった俳優が芸能界やめる」とかだったら、はなしは違ってくると思うんだよな。音楽も映画も、CDやDVDとしてかたちに残るわけで。

そう考えてみたら、ラジオってほっとんどなにも、かたちとして残らないなー、と思う。録音した音源とか、いただいた番組ステッカーとかはあるけど、そういうのって生々しさがナンボであって、リアルタイムで聴くにくらべたら語弊を恐れずにいうとわりと「無駄」に近い。PCのハードディスクの肥やし。私的有形財産としてはCDとかDVDとかのほうがずっと恒久な気がする。

もともと僕は思い出をモノとして保存することに保守的な考えで、自分の心や網膜に刻み込むなり焼き付けるなりするほうが好きで、だからまぁそのひとの番組をずっと聴きつづけてきたことにはすっごく価値のある思いがあるし、かたちとして残らなくてもべつにいいっちゃいいんだけど。

高校2年のときだから、だいたい8年まえ。欠かさずではないけど、長い目で見たらそのときからずっと聴きつづけてきた、ってか8年ってどうかしてる年数だ。黄色いランドセルの子どもが受験生になる年数だ。そんな途方もない歳月のなかで、自分が当時つたないながらも書いたメール、ゆうに300通は超えてるだろうけど膨大なそんな番組宛のメールを取り上げてくださって、番組内で読んでくださったそのひとの肉声とか、毎週たのしみにしてた大好きだった締めのひとこととか、そういうかたちのないものを思い出として受け止める、今回もその機会なのかな。

がんばってね。そのうちひょっこりまたしゃべっててくれると信じて、あいもかわらずラジオを聴きつづけるよ。そうだな、たぶん土曜の深夜あたりに、「来週のこの時間も、僕はここにいますよ」って。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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