題名のない音楽祭だ! ユニゾンがやってくる、ヤァヤァヤァ。
2月になった。各位ツアーファイナルおつかれさまでした。オフィシャルHPで曲目が公式に発表されたことだし、そろそろ書くね。二発目の『Dr.Izzy』かと思いきや、やってきたのは『CIDER ROAD』の再来だった。このひとたち、いったいどれだけリスナーを引っかきまわしてくれるんだろう。このさきバンドなんて、10年も20年も続いていくっていうのに。
シングルてんこ盛りのニューアルバム。ほぼ奇跡みたいなバランスで組み立てられた構築美は、想像を痛快に裏切る傑作だった。理性と衝動が決壊寸前のバランスを保ちながら高密度でしのぎを削る。
僕が『Dr.Izzy』のときに「アルバム2枚同時発売、または2枚組アルバム発売もありうる」って予想した論拠もそこにあって、たしかにUNISON SQUARE GARDENのバイオグラフィー史上、シングル曲が4曲も収録された例はない。シングル級の曲が10曲入っていた例は枚挙にいとまがないけども。
前作『Dr.Izzy』には異例のロングランとなった「シュガーソングとビターステップ」が内定したため、シングルはそれだけでも十二分に勝負できるという姿勢が彼ららしかった。もっというとその後「シュガーソングとビターステップ」に続けることになる重要なシングルのまえに、「Silent Libre Mirage」をパッケージではなく配信でリリースしたのも慎重な打算が垣間見えてよかった。そしてそのあとようやくリリースが決まった「10% roll, 10% romance」は、変わるつもりのないUNISON SQUARE GARDENのニューアンセムになっても変哲ない高度な歌だった。ところが、この歌が軸になるのかと予想させたところに「Invisible Sensation」「fake town baby」とタイアップシングルを二週連続でリリースしたユニゾンは、どんな7thアルバムをつくるのか内容の混雑した状況だった。追い討ちをかけるようにニューシングル「春が来てぼくら」のタイアップ発表。待機シングルこれにて5曲。UNISON SQUARE GARDENのソングライターがどう考えても好きじゃない「シングルの多いアルバム」が想像されることとなった。
これに折り合いをつけるには、アルバムを2枚に分解して最大容量を増やすほかないと僕は思ってたわけですね。
ほんでZepp Nagoyaにて参加したワンマンツアー「one roll, one romance」も、いつもどおりとても気持ちのいいライブだった。アンコールで斎藤君が「いい歌がたくさん出来てきているし、はやくみんなのもとに届けたいなとも思っている」と伝えてくれた。この時点で2017年12月14日、アルバム発表なんぞどこ吹く風。
年が明けて2018年。突然と投下された『MODE MOOD MODE』のリリース。あったよね七不思議。
不思議①発売日は2018年1月24日。告知時点で作品はとっくに完成されていたこと。
不思議②それをずっと彼らが寝かせたままツアーを決行し続けていたこと。
不思議③3月7日リリースのニューシングル「春が来てぼくら」の告知は12月7日にとっくに済ませていたこと。
不思議④「春が来てぼくら」のリリースが決まっているにもかかわらず、そのまえに発売するアルバムの告知は新年まで引き延ばしたこと。
不思議⑤しかもそのアルバムには「春が来てぼくら」は収録されないこと。
不思議⑥収録内定済みのシングル4曲以外の曲目および曲順は、アルバムのリリースが完全に終わる1月31日まで公式には発表されないこと。
不思議⑦せっかくアルバムが世に出るにもかかわらず「初回購入特典のDVDはいまやってるツアーのだから、これから来てくれるひとはまだ観ないでね」と勧め書きをしていること。
いったいこんなアルバムの発表の仕方がありますか! そんなことする子に育てた覚えお母さんない!
でもまぁ冷静になって考えると、制作ペースが段違いに速いユニゾンがこういう結果に落ち着くのもうなずける面は多々ある。わからずやには見えない魔法を、もう一度。
業界の性質として、だいたいこういうアルバムの詳細は2ヶ月まえには出てしまうものなんだけど、きっと田淵さんのことだから「CDを買うファン」のことをより可愛がろうと思った結果、「発売日に店頭で目撃せよ」に落ち着いたと思うんだよな。
それともういっこ、『Dr.Izzy』に収録されてる「8月、昼中の流れ星と飛行機雲」は、おそらく『流星前夜』の「2月、白昼の流れ星と飛行機雲」へのオマージュないしアンサーソングというポジションの歌なんだけど、ユニゾンにはこういう「曲名のトリック」がけっこうある。
『UNISON SQUARE GARDEN』に収録された「MR.アンディ」と、『CIDER ROAD』 収録の「Miss.サンディ」。「フルカラープログラム」にたいする「プログラムcontinued」。ライブ映えを意欲的に示した「WINDOW開ける」と「CAPACITY超える」。「スノウリバース」「スノウアンサー」「スノウループ」と並ぶ歴代スノウシリーズ。『Dr.izzy』で「オトノバ中間試験」をはさんだ「マイノリティ・リポート」と「マジョリティ・リポート」。バンドサウンドの外からポップネスを持ち込んだ「like coffeeのおまじない」と「mix juiceのいうとおり」。
こんだけ題名に意識的なトラップが仕組まれてるんだ、ファンが楽曲のキャラクターを曲名からどう推察するのかもてあそびたくもなるだろう。それを「一秒でもはやくCD屋さんに駆け込んだご褒美」と連結させるのも田淵さんらしい。
それから「春が来てぼくら」が収録されないことに関しては、どう考えてもこの曲は入れたほうがビジネス的には売り上げに貢献すると思うのだけど、アルバムのバランスが崩れると思ったんだろうな。シングル過多を気にして収録を見送ったユニゾンにたいして、このひとたちにとってアルバムをつくるということがどれほど意義固いことかが伝わってくる。
ということながらもこのアルバム、ファンを動揺させたことは間違いない。
『Populus Populus』で自分たちの活動基盤が固まってきて、サウンドの行方が明確になった。『CIDER ROAD』でユニゾン流のポップネスを提示して、だからこそ『Catcher In The Spy』でギターロックも世に出した。その流れで、「シュガーソング~」でロングヒットを出したときに「あっ、コイツら変わる気ねぇ!」とファンに思わせたのが『Dr.Izzy』だった。次にどうくるかというときに、「えっ、またそんなことするの!?」という揺さぶりがこの『MODE MOOD MODE』よ。無骨に堅実だった『Dr.Izzy』のあとに、心配になるくらいの過剰ポップ爆発。
たくさん入ったシングルたちもアルバムのなかにきちんと組み込めて、かつ稠密に作品としての流れを担っている。バンドやってCDつくったことのあるひとならわかると思うんだけど、既発曲にたいしてそれ以外の、いわゆるアルバム曲がどういった目的とアプローチでアルバムを表現するパズルのピースになるかってのを考えると思うんです。どういったメッセージの歌を、どういうジャンルに落とし込んで、何分でおさめて、どのアプローチから打とうか。それが嘘みたいなバランスでギリギリのヤジロベエが威風堂々としている。天才かよ田淵智也。
シングルが多いことに安心するバンドも世のなかにはいると思うんだよな。シングルがあるから安心。しかしながらUNISON SQUARE GARDENにとってそれは難題因子になるんだなぁ。
もちろんシングルに匹敵するグッドメロディの曲がそろっているだけで凄まじい力量なんだけど、アルバム曲にはアルバム曲の役割をきちんと果たしてもらえるような工夫が、ザッと気づいただけでもけっこうある。尺の長さ、歌詞のメッセージ、曲の構成、曲と曲のあいだの無音時間とかまで。
「シュガーソングとビターステップ」で、簡単なポップ路線に走らなかったユニゾン。そのころから、いやそのずっとまえから、ロックバンドとしてユニゾンにピアノやホーンが入ることを毛嫌いしてるファンはずっといたはずなんだよな。なにせ1st ALがあの出来ですもの。その気持ちはリスナーの精神として間違っていないし素敵なこと。それだけに「変わるつもりのないロックバンドだよ」という『Dr.Izzy』の意思表示でさぞかし安心したひとは多いと思う。だからこそ、ここまでポップなアルバムをふたたびつくりあげたときに、「なんだオマエら結局こうじゃん!」と思うひとはいなかったはず。そのかわり、「え…、そんなにやるの? 大丈夫…? 熱とかない…?」って心配にさせる快作になった。
『Dr.Izzy』がそこまで義理堅い「あ、僕ら売れる気ないんで」っていうアピール作で、そのくせつぎのアルバムでは嘘みたいにオーケストラだブラスホーンだやりたい放題に過剰なポップを平然としてみせた。もちろんファンを揺さぶる意図もあっただろうけど、ただの意地悪じゃなくて、そのほうがリスナーとして、ファンとして、刺激的でスリリングだなとも思うのです。くやしいけど、それがとても気持ちがいいんだ。
とくに気になった歌だけでもピックアップさせてください。
「Own Civilization」に関しては、しょっぱなっからグランジ・オルタナ系のリフで、「あれ、俺ユニゾンのアルバム買ったんだよな??」って不安になる。ユニゾン流スメルズ・ライク・ティーン・スピリットかよ。ニルヴァーナ大好物だけど、こういう楽曲でも斎藤くんがうたえばUNISON SQUARE GARDENになってしまう不思議よ。作詞作曲を背負ってないぶん、斎藤くんは「この田淵の歌をさてどううたおうか…」っていうところが輝きどころなんだけど、グランジ・オルタナというと男らしいガナリ声(それこそカート・コバーン)が通俗的なイメージなだけに、透明感のある斎藤くんの声がこうきたか!っていうところに聴きごたえを感じる。
「オーケストラを観にいこう」は、「ロックバンドではなくオーケストラ」というところが田淵さんらしい。歌詞が夏の歌だけに、去年ブレイクしたSHISHAMOのヒット曲「君と夏フェス」にケンカ売ってるようにも見える。やりすぎなくらいポップな楽団。でもそれがよかったんだろうな、「ちょいポップにやる」より「そんなにやるの…?」って軽く引かせるほうが狙いなのは聴いて想像できる。
メロディメーカー田淵智也がふんだんに発揮されるなか、あきらかにいい意味で手抜き感のある「フィクションフリーククライシス」。これは、ほかが優等生すぎるからこそ必要な温度感で、「あ、このひとたちがんばってないんだ!」っていうところを見せるためのとてもいい歌。歌詞の視感、アレンジも込みで、こういう歌が一個あることでバンドの系譜がしっかりする。「デイライ協奏楽団」や「メカトル時空探検隊」あるいは「蒙昧termination」みたいなポジションだ。
いまクレジット読んでて発見したんですけど、「君の瞳に恋してない」のブラスホーン、なんと“東京スカパラダイスオーケストラではない!” ええっ…、斎藤くんあんなにスカパラとうたってたのに、この歌の伏線じゃなかったんだ…。つくづく裏切りの絶えないアルバムですこと…。
『MODE MOOD MODE』にいたるまで、彼らはロックバンドとしての地固めを6作もかけて丁寧にときに大胆に、かつすべてを徹底的に行なってきた。「オリオンをなぞる」という予告ホームランがあり、『CIDER ROAD』という果たし状があった。『Catcher In The Spy』という伏線があり、「シュガーソングとビターステップ」という予想外の長打も生まれた。
アルバムの発表がこんなかたちになったのも、リスナーとのありかたについて真摯に愚直に貫いた結果、ビジネス論をひん曲げる方式をとったとも言えるんだろうな。
スッとラクに、ロックバンドがいい歌をうたう。シンプルに理想的なこの図式を、UNISON SQUARE GARDENはずっとつづけている。そうやってコンスタントにCDをリリースし、僕らに届けてくれる。普段使いのいい演奏を絶え間なく、僕らの街に運んできてくれる。
ロックバンドがあたりまえにやるべきことを、当然としてやってくれている。いまのUNISON SQUARE GARDENに特別なことはなくていい。それが愛らしく頼もしい。空気のように存在する僕らファンに、呼吸をするようにこたえてくれる。そのすべてが血も涙もないようで、じつは愛にあふれている。突き放すように大切にしてくれる。いつもどおりのユニゾンのライブが、過去最強にワクワクする。
アリーナツアーをやろうと思えばできる。本気出せばランキング1位のヒットだってねらえる。いまの2倍、3倍のセールスや動員は確保できるのに、それをやらないUNISON SQUARE GARDEN。完膚なきまでにリスナーとの距離をたしかに激演をやめない彼らが、ロックの美学をつらぬきとおした大作。リスナーとの安心した関係がないとやっちゃいけないことだと思う。まぁでも、だから、かっこういいんだよなぁ。
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