27 Club ご入会の案内状がとどいた

2018/06/20

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「27クラブ」と呼ばれるものがある。

トゥエンティセブンクラブとか、にじゅうななクラブとか、読みかたは邦洋こもごもにあるのだけど、ようするに27歳で死んだミュージシャンや俳優のことを総括した表現で、薬物乱用、アルコール中毒、事故、自殺、他殺、そういう暴力的な最期を迎えたかつての27歳たちは、「愚か者のあつまり」と評されることもある。

もちろん統計学的に27歳の死亡率が高いなんてことは証明されていない。ただ、ジミ・ヘンドリックス、カート・コバーン、ジャニス・ジョプリン、エイミー・ワインハウス、ジム・モリソン、ロバート・ジョンソン、ブライアン・ジョーンズ、そういったミュージシャンが27歳で死亡したことは事実だ。

幸か不幸か音楽をやっていた僕にとって、この27歳という年齢は自分にとって20歳よりもおおきく意識すべき数字で。とはいうものの、27歳までになにか成し遂げようとか、死んでやろうとか、事件を起こそうとか、そんなことはとくになく、そしてあてどなく、自分のなかで特別な年齢として迎えたい漠たる期待がほんのりとあるだけだった。


ただもうひとつ、これまでだれにも話してこなかったけど、僕が27歳をつよく意識する理由があるんだ。


2008年の5月25日、僕はScheilというバンドを組んでちょうど一年が経った。16歳、さきゆきの見えない思春期に、音楽にぶつける衝動があったのは好都合なことで、たった一年の活動で僕たちはお世話になっていただいすきなバンドであるLiquid Muffと一緒にライブハウスに100人はあつめられるていどになった。

とはいえ100人のうち90人は、きっとLiquid Muffを観にきたお客さんだった。僕らScheilは虎の威を借りてきただけの後輩バンド。媚びを売ることはしなかったけど、よくなついていた。とくにLiquid Muffのベースのナエちゃん、すんげえカッコいいんだ。僕とナエちゃんは知り合ったときからすぐ意気投合して、それまでもよく一緒に出かけたし、あそんだ。ベースを教えてもらったり、映画観たり。恋人なんかじゃ決してなかったけど、友達と呼ぶには不思議な関係だった。

ナエちゃんには、ベースのほかにも音楽についての知識とか理論とか、いろんなことを教えてもらった。あるとき、ナエちゃんは言った。「音楽なんて、なくたって生きていけるのに、なんでこんなにきらきらしてるんだろうね」

そして、こんなことまで言った。「音楽のために死ぬことができたら、きっとそれ以上のない最高の幸せなのかもね。そうしたら、わたしだってきらきらできるかなあ」

2008年の6月20日、僕の17歳の誕生日だった。そんなナエちゃんが亡くなった。27歳だった。そして、自殺だった。そのことを知らせてくれたのはScheilのリーダーだったエイスケくんで、亡くなった翌日だった。そのときに僕がいたのは学校だった。

なんで、今日。なんで、自殺。なんで、勝手に。

不思議な気持ちが去来した。ナエちゃんは僕の誕生日を知っていたから、きっと意味があると思ったんだ。

実感がわかないままLiquid Muffをたずねると、手紙が遺されていた。「レオくんが大人になっても、わたしのことを憶えてくれているように。レオくんが大人になるたびに、わたしのことを思い出してくれるように。6月20日 ナエ」

その手紙は警察だか検察だかのひとが持っていってしまった。でも、そんなことはどうだってよかった。知らなかったんだ、わからないまま過ごそうと思ってたんだ、ナエちゃんが考えごとをするようになったこと。そして、わかろうとしなかったんだ、ナエちゃんが死ぬほど悩んでいたその正体を。

27歳で、大人で、ミュージシャンで、人気者だったナエちゃんと、鳴かず飛ばずで未来のみえない高校生だった僕。若かった。若いと呼ぶには若すぎるくらい若かった。世のなかのなにもをわかっちゃあいなかった。

その日から夏休みまでの思い出らしい思い出があんまりない。きっと部屋でひとりですごしてばかりだったと思う。でも、うすぼんやりとでも前を見ようと思った。上を向こうと思った。そして心に決めた。27歳まで死ぬ気で生きてやる。

それと一緒に、27歳になったら僕も死のうと思った。「このまま生き続けていたら、ナエちゃんの年齢を追い越してしまう。それはいやだ」。引き金をひくにはあまりにも軽すぎる17歳の本気だった。それでも、しいて言いかえるなら、10年さきのことなんてさっぱりわからない僕に、そこまでは生きたいという活力を、死んだナエちゃんは寄越してくれたのかもな。

あれから10年が経った。

Scheilは解散した。好きなひとができた。ベースを友達に借りパクされたりもした。そんななか、ナエちゃんにつくってもらったベースは、いまも鳴っている。不思議な気持ちが、また去来した。

この10年間で、Scheil、Marble Candy Store、Bottom Squash、Pon'z Ring、白昼にきえた針、Oswald、Radio Junxone、アトリエぱる、短命ながらもたくさんのバンドで演奏させてもらった。「ベースが(借りパクされて)手元にない」という理由で、ギターを弾いたこともあった。思い返すと、やっぱり、ナエちゃんに教えてもらったことはいつだって生きていた。「音楽なんて、なくたって生きていけるのに、なんでこんなにきらきらしてるんだろうね」

残念なことに、音楽のために死ねる勇気は27歳の僕にはありません。でもね、ちょっとだけわかったんだよ。音楽が、きらきらしてる理由。きっとナエちゃんのおかげなんだ。

なくたって生きていける、所詮と言っちゃあ嗜好品に過ぎない娯楽である音楽。ナエちゃんは僕のなかで、これからもあの日あのときのナエちゃんのままで、それはいつかもっと美化されて、ただの綺麗なおもいでに成り下がってしまうんだろう。「綺麗なものばかりならべて生きていけたらいいのに」と、いつかナエちゃんが言ったことがあった。「できないんじゃない?」って知ったふうに答える16歳の僕もそこにいた。でも実際できないんだよな。綺麗なものだけならべて、おいしい夢だけ食べて生きていけたら、音楽は、きっとこんなにきらきらしていない。

幸せな結末や、映画みたいな奇跡は、簡単には拾えないや。でもナエちゃんの死んだ27歳にならぶことができたよ。そして決めた。27歳で死のうなんてとんでもない。ナエちゃんを追い越すまで生きよう。それが27歳の目標だ。

今日、僕は「27歳まで死ぬ気で生きてやる」という目標を「28歳まで生きてナエちゃんを追い越そう」と一年だけ先延ばしにしました。一年後なにを考えてるかわからないけど、掲げた以上この一年は一生懸命あるきます。

でもひそかに思ってる、もっともっと生きたい。ナエちゃんが見れなかったさきの人生を、僕は見たい。来年の撤回に向けて、二言の準備はいまからしておきます。

一生に一度のチャンス、「27クラブへの入会」は、惜しいけど見送ることにします。生きててよかった。毎年ちゃんと誕生日に思い出すナエちゃんに、僕が(もうなってしまったけど)大人になるたびに、見守ってもらいます。決めたんだ。そうする。おじいちゃんになるまでよろしく頼みたいと思う。


余筆に添えて、2017年12月18日、Zepp NagoyaでGLAYのTAKUROさんのソロツアー「Journey without a map 2017」を観た。アンコールで、会場みんなでうたった「あなたといきてゆく」。TAKUROさんの輝かしい音楽は、ナエちゃんの教えてくれたそれだった。著書『胸懐』でTAKUROさんが述べた音楽が、ナエちゃんのいうきらきらした音楽だったんだ。何度も読み返したページの言葉が、いまになってようやく、ほんとうの意味でわかった気がした。

歌詞に倣うとすれば、永遠を訪ねて旅立ちを決めたナエちゃんがいたから、これまで僕は生きてこれたんだと思う。それはつまり、これから生きていけるのは、すぐそばにいる大切なひとのおかげってことなんだ。大袈裟であるにせよ、大袈裟でないにせよ、そんなとこなんだ。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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