♪オッレーはジャイア~ン
♪ガーッキだーいっしょー
そう、あの歌だ。正確な題名をして「おれはジャイアンさまだ!」という。もっというと歌詞は「天下無敵の男だぜ / のび太スネ夫は目じゃないよ」と続け、3番まできっちりある。
ジャイアンは音痴であるというのがドラえもんを知る世間の通奏低音ではないかと思う。しかし音楽的にジャイアンを紐解いたとき、彼の歌はむしろ下手ではないと言えることは、意外と知られていない。
ジャイアンはじつは歌は下手ではない。これは藤子先生のウラ設定なんかではなく、音楽を科学的な角度で見たときに、そう言うことができる裏付けがある。
歌の上手なひとは、3つの基本をしっかりおさえている。
前述したジャイアンの歌は、きっとドラえもんをみたことのあるひとなら憶えているし、フルコーラスとは言わずとも「おれはジャイアン、ガキ大将」のフレーズはうたえるひとが多いと思う。
ってことは、ジャイアンは自分でつくった歌をきちんと我々に届けているのだ。
ジャイアンは「①正確なリズム」と「②正確な音程」で歌をうたっていたわけだ。では、なにが彼を音痴と言わしめているのか。そこで出てくるのが「③適切な声量」である。ジャイアンは、声が大きすぎるのだ。
カラオケで、マイクの音量をMAXにして、BGMの音量を下げたとき、どれだけただしいリズムと音程がとれていても、ひとは不快に感じてしまう。ほら、ジャイアンのリサイタルも「下手な歌を聴く」のではなく、「やかましい声に耳をおさえる」ことに、のび太たちは不快感をおぼえていたじゃないか。
先日とあるカラオケで爆風スランプを大声でうたったひとがいた。僕はもうご存じのようにドラえもんだいすきなので、歌が下手なひとのことをいたずらに指して「ジャイアンじゃん」などと揶揄することは普段はぜったいにない。
しかしその爆風スランプは、悲しいかな悔しいかな完璧に「ジャイアン」だった。オケが小さく、そして声がデカすぎたのだ。
個人的にジャイアンの愛らしさは、普通のひとが滅多にしない音痴のありかたであるところにある。一般に歌が苦手だというひとは「音程がとれない」「声がでない」というポイントに歌のむずかしさを感じているパターンが多いなか、そのどちらもをクリアしているにもかかわらず声量がデカすぎるジャイアンは、わりと稀なケースな音痴であり、そこが彼の魅力でもある。コエカタマリンを使ったときのジャイアンの「ボェ~」に、ドラえもん御一行は何度救われたかわからない。
僕はジャイアンがだいすきだし、ジャイアンを愛しているからこそ、下手な歌とジャイアンの歌をおなじ土俵には立たせない。それはそのひとに失礼だし、ジャイアンにも失礼だ。音程がとれない音痴と声量が抑えられない音痴は、まったく別物なのだ。
まぁ、だからこそ、あのときの爆風スランプが効いたのだけど…。現実のジャイアンを初めてみたよ。ドラえもん好きの僕が言うんだから、どうか事の重大さがどれほど大きいか伝わってくれ。
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