BiSH=モモコグミカンパニーが「JAM」を模るということ

2018/11/07

music 感想

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「アイドル」という肩書きに関して、どんなイメージを持ってるだろうか。「抜群のプロポーション」「キレのいいダンス」「上手な歌」「愛想のいい笑顔」、アイドル群雄割拠時代の現在において、それぞれの観点からアイドルを応援しているひとは多いと思う。

「新生クソアイドル」もとい「楽器を持たないパンクバンド」=BiSHのメンバーであるモモコグミカンパニーは、それらの観点すべてを持ち合わせていない。背は低いし、ダンスも歌も決して上手とは言えない。SNSなどで見かける彼女の写真は、どこか諦観があって愛想がいいとは言い難い表情である。

なぜ、僕らはそんなモモコグミカンパニーを応援するのだろうか?

なぜ、そんなモモコグミカンパニーは僕らをとりこにするのだろうか?

正直に従来観念のアイドル像から明らかな距離をおいて現代のJ-POPを駆け抜けるBiSH。そのなかでも一見では目立たない立ち位置のモモコグミカンパニーは、自身で作詞を手がけたBiSHの楽曲「JAM」において、次のような表現をしている。

一番なんて僕はいらないから 君にあげよう
誰かの上 立たなくてもさ
輝けるはずだから
がんばらなくていいよ 重い荷物もってくれた
君のこと信じてみたら もう少し歩けるかな
(JAM / BiSH)

一番なんていらない。がんばらなくていい。いまや、なにかと騒げばランキングだ動員数だで数字を競い合うJ-POPの世界、とりわけアイドルの業界で、なにが彼女をこう言わしめたのか。はじめ聴いたときにどこか腑に落ちない気持ちになったこのフレーズを、すこしでも明るくしてみたいと思う。


「JAM」の主人公は、斜に構えた様子である。

先のことなんとなく見えてる気がして
未来には自分の席がないようで
世界ナナメから 見たりしてみて
つまらないと頰杖ついてたんだ
(JAM / BiSH)

著書『目を合わせるということ』において、モモコグミカンパニーは高校受験に失敗し志望校に入れなかったというエピソードを残している。一方で、努力をひとに見られたくなかったという前置きをしたうえで、熱心に学業に取り組んでいたことも認めている。

世界をナナメから見て「つまらない」と感じるのは、大学進学を前提に高校に通う生徒ならある程度共有できるような、将来にたいする漠たる不安とよく似ている。しかし、努力や学歴に少なかれ比例するかたちで相応のポスティングが見える学業というレールに、「自分の席がない」ということはほぼありえない。それはそのレールを辞退したり脱落したり、目を背けた人間に用意される言葉である。

では、ここではなぜ「未来には自分の席がない」のか。

おそらくそれは、彼女が学業と並行してBiSHを続けてきたからこそ感じることなのだろうと思う。卒業という区画で学業から退き、人生をBiSHとともにあろうとしたとき、ネガティヴな自分が感じた不安そのものが「自分の席がない」だったのだろう。進学して就職すれば、ある程度の立場は与えられる。しかし芸能人としてアイドル業を選ぶ以上、理由がなければ席は用意されない。

自分の価値 どこにあるのだろう 探していた
握りしめ 苦しめていた 狭い部屋の片隅
(JAM / BiSH)

『目を合わせるということ』では、そのあたりの葛藤についても稠密に書かれている。歌もダンスもやったことがなく、純粋にアイドルになりたくてオーディションに応募したわけでもない。モモコグミカンパニーはBiSHのなかで「自分の価値」が「どこにあるのだろう」と、メンバーを通してずっと「探していた」のだろうし、これからも探し続けることになるだろう。その行為そのものがきっと彼女を苦しめることにもなる。成長という大義のもとに美化されがちなことが、ステージの下からは想像を絶する重圧であることを、ここで推察してはあまりにも値が安いだろうか?

わたしは今、なりたくてもなれない子がたくさんいるような仕事を奇跡的にできている。(中略) それはすごく幸せなことだから、ただグループにいるだけじゃなくて、わたしだからできることをたくさんしなくちゃいけない。見ている人が、ああいうふうになりたいって思ってもらえるようなことを。
『目を合わせるということ』 (モモコグミカンパニー著)

メンバーへの劣等感や、表現にたいする熱量の差を地肌で感じながらも、それでもたしかに「悔しい」と流れる涙はまぎれない向上心だろう。モモコグミカンパニーは、自分がなにか変わらないかぎり無条件でBiSHに席が用意されるほどあまい世界に足を突っ込んだわけではないことを十二分承知したうえで、できることを探したり、正解不正解の境目を見つけたり、ときには焦ったりしているのだろう。

一番なんて僕はいらないから 君にあげよう
誰かの上 立たなくてもさ
輝けるはずだから
がんばらなくていいよ 重い荷物もってくれた
君のこと信じてみたら もう少し歩けるかな
(JAM / BiSH)

BiSHのなかでのモモコグミカンパニーのポジションを踏まえると、このフレーズの意味するところはわからんでもない。歌もダンスも、アイドルとしても、メンバーや余所のグループにはきっと一番に及ぶべくもないのだから。それでも、一員として自分にできることはないかと模索をやめないモモコグミカンパニーはれっきとBiSHであり、そんな彼女は美しい。

僕らがモモコグミカンパニーを応援したくなるのは、表現手法やアイドルのパブリックイメージとは縁遠いところで、なにか期待してしまうからなのだろう。子どもの成長を見守る母親のようであり、物語の主人公が「一番」を取るのを心待ちにする少年のようでもある。母性と父性が入り混じって複雑な心象をかたどっていくとき、そんな感情を引き立てるモモコグミカンパニーは、やはりBiSHに必要な魅力である。

余談に添えて。JAM(ジャム)とは音楽におけるセッションの一種で、なんの取り決めもなく即興でセッションすることを指す。ひとりひとりが、思い思いに音を出し合って、ひとつのセッションをつくっていくことは、個性という名目で振り分けられたBiSHのカラーがまだ未完成であることを示唆しているように感じる。そしてそれは、完成に向けて個人々々が努力をやめずギリギリのヤジロベエのうえでつくっていく、新生クソアイドルの絶品のストーリーである。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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