星野源、殺したくない?

2019/01/14

music 日記

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星野源を殺したい。

この感情が芽生え出したのは、2016年の末ごろから2017年にかけてであったと記憶している。時期的には、星野源の楽曲「恋」がドラマ『逃げ恥』の主題歌になり、恋ダンスと呼ばれる一大ムーヴメントを世間に巻き起こし、紅白にも出演。楽曲としてもヒットチャートを席巻した星野源の一時代に相当する。

そもそも、星野源のこの時期には目覚しいものがあった。『YELLOW DANCER』という名盤をつくって、それがセールス的に好調な売り上げを記録した。『YELLOW DANCER』は本当に微塵寸分の計算違いもない完璧なアルバムで、一生聴けるアルバムであると断言しよう。この、『YELLOW DANCER』リリースからの「恋」のヒットというのがJPOP的になかなかないことで、「名盤をつくったあとに名曲を生み出す」サイクルは完全にロックレジェンドたちのそれである。

夫婦を超えてゆけ。

これは、星野源の「恋」で謳われる象徴的なフレーズである。「夫婦」という言葉がドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』という作品ありきで成立している部分はもちろんあると思う。しかし、その「作品ありき」の言葉が、星野源という看板を背負って立つときに、隙もなく革命的なフレーズとして、星野源の言葉として、生きているのだ。音符への乗せかたも実に見事としか言えない。

星野源はかつて『地獄でなぜ悪い』という映画に出演した際も、同名の楽曲を書き下ろしているし、なにより映画ドラえもん『のび太の宝島』に「ドラえもん」という楽曲を提供した張本人である。もともとそういう「作品ありき」の制作が得意で、臆することなくできるタイプではあると思う。しかし、たとえば「仮面ライダー」や「宇宙戦艦ヤマト」などのワードを入れてしまうと作品に直結してしまうこの手法は元来アニメソングに顕著な方法論で、ポップシンガーがドラマのタイアップをうたう際に簡単に応用できるロジックではない。

そういったことを含め、星野源はあの当時すでに僕のなかにある概念を乗り越えてきていた。その圧倒的に思考の進行が追いつかない星野源の世界線を見つめたとき、僕はにくいと思うのだ。そしてそれが「殺したい」になるのだ。

この感情に内包される嫉妬心を、僕は認めようと思う。しかし、純度の高い嫉妬や、もしくは崇拝という感情ではないのだと、同時に否定しよう。星野源を消して、では自分がそして星野源になりたいかというと、まったくそうではないからだ。

紅白やテレビ番組での星野源のステージを観ると、手拍子を煽ったり、「こんばんは~星野源でーす!」と挨拶したり、まるで歌詞の一部であるかのように「ありがとうございましたー!」と締めたりする。それらは決して、自分が憧れてきたミュージシャンの理想像ではないし、むしろダサいと判定する類いのものである。ただ、星野源はそれらをそつなく、そして格好良く、こなしているのだ。

役者としても大成していて、ラジオのパーソナリティも務め、文筆家として著書を何作も抱えている、その多面性はとてもすばらしいことだし、日本の音楽のトップグループにそういうひとが来るのを、実を言うとずっと待っていた。ただ、自分が格好良いと尊敬し、憧れ、ついていくようなミュージシャン像にそれらは当てはまらない。本来なら、僕の価値基準で判断すれば星野源はダサいのだ。ただ、メディアに出てインタビューされても驕りも謙りも見せず飄々とした態度をとる星野源は、いままでの自分のカテゴリーに入りきらない言い知れぬ存在であると言える。

自分のロジックが通用しない反証事例と言ってしまえばそれまでなんだが、これによく似たひとがいる。メジャーリーガーの大谷翔平だ。

大谷翔平。24歳。花巻東高校を経て北海道日本ハムファイターズに入団後、投手と野手の二刀流で活躍し、現在はMLB球団ロサンゼルス・エンゼルスに所属。投げては最速165km/hのストレート、打っては.500越えの長打率をプロ通算で誇り、一塁到達まで3.8秒台の俊足である。

二刀流ってそんな漫画じゃあるまいし冗談な、と思えば現実としてそれを実行する大谷。記者の質問に対しては謙虚にこなし、昭和じみた努力物語があってとか、過去に恩師がいてとか、そういう話をしない。

パニックである。

とにかく、既存のストーリーテンプレートに当てはまらないのだ。もし自分なら、投手としてか野手としてか、そのどちらかを選び、研鑽することに美学を感じるだろうし、実際いままで学んできた分野すべてにおいて僕はマルチアングルでのアプローチを徹底して避けてきた。ひとつのことを、不乱に追求する、原則的にそれが美しいと僕個人は思っている。

羨望、憧憬、嫉妬、尊敬、それらすべてを内包しながらも、それらすべてのどれにも該当しない。自分が格好悪い、ダサい、やらない、と思っていたことを、自分が気づかなかった方法で現実化しているのが、大谷翔平であり、星野源であるのだ。

星野源の話に戻すと、やはり彼は殺したい。星野源はまったく僕とは違うものを持ってるひとだから、星野源になろうとは微塵とて思わない。エリートコースを突っ走る同級生にも似ている。「あれ、俺いま磨製石器から始めてんだけど、もう火縄銃持ってんの?」みたいな。「あ、なんかカッコいいスタンガンとか使ってる!」みたいな。国境的な世界線超えてるみたいな。それはずるいし、にくい。殺したい。

しかもそれが、星野源のもともとのパーソナリティであることが透けて見えて拝察されるから、なおさらである。打算的な計算のもとメディアであの態度を取っているとは思えないし、それに星野源はきちんと努力をしていて、自己顕示欲を満たそうとしたうえであの嫌味のない立居振舞であることがわかってしまうから、なおのことこちらにはなす術がない。殺すしかないじゃないか。

「星野源が消えて無くなってしまえば俺がやったのに!」なんてことは毛頭思わない。むしろ僕個人は星野源ではない自分のやりかたにすごく満足している。もちろん、自分のやりかただけが正解だとは思ってないし、星野源のやりかたも正解のひとつであることも認めている。それでも僕は、星野源がにくいし、消したい。

だけど、彼に消えてもらっては困る。だっていい曲書くんだもの。だっていい歌うたうんだもの。

星野源の新譜、聴きたいじゃない? 星野源の歌は大好きだし、SAKEROCKのバイオグラフィーを顧みても、やはり見続けていたい人間のひとりである。そんな大好きな星野源が、いま大衆として消費されていることに対する、もしかしたら道筋の話かもしれない。じわりじわりと消費されていくはずだった俺たちの星野源が、たった一年でメジャー級に売れている。そういったパラレルワールドに感じる嫉妬心が、「消したい」「ずるい」、そして「殺したい」になるのだ。

「俺が殺さなきゃ、だれが殺すんだ」という愛情の裏返しである。もちろん「殺したい」という語彙の拙さは自分でもわかってはいるんだが…。

先日、星野源の新譜『Pop Virus』を聴いた。思うところはたくさんあったけど、思うところがたくさんあったからこそ、「こいつにくいな」と思ってしまった。この感情を裏切らずにトッププロで居続ける星野源に感じるのは、安心と、そしてやはり、「殺したい」だ。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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