【感想】【ネタバレ】映画『南瓜とマヨネーズ』を観て

2018/10/22

movies 感想

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たしか去年観たのを、ふとまた観たくなったので。あらすじとか書くの好きじゃないので勝手にググってください感想だけ書き散らします。




ツチダの痛さ、切なさ、どうしようもないやるせなさ。隅々まで出しゃばった愛情で二人の男を想うこと、そしてその二人の男の将来を見据えたうえで選択した未来に生きる自分が一歩でも前を歩くこと、わずかでも上を向くこと。正味に共感とはほど遠い彼女の行動の数々に、どうしてか反応する心がたしかにある。

押し付けがましいと言えばまったくそうだし、ツチダのその気持ちの重さに、せいいちはなかなか歌がつくれずにいたのもあるだろうな。バンドマンの彼女って、ツチダみたいに彼のために身を粉にして尽くして、その代わりに求める見かえりみたいな代償が夢に満ちて重たいところが結構ある。けれど、それにきちんと応えてくれるのが、せいいちの魅力でもある。

バンドメンバーからヤジられても、その鬱憤をツチダに向けずに懸命に音楽と向き合うせいいち。きっと彼は彼の葛藤があって、憤りと鬱屈した気持ちで過ごしていたに違いなくって。散らかった部屋にはゴミ袋も洗濯物も、もう使わない楽器もある。あの部屋はせいいち自身の心そのものだったんだなと思う。その部屋のなかでも、やっぱりツチダを求めてしまう彼のどうしようもないところは、少し愛らしい。

せいいちは素直で、まっすぐな男だからこそ、どこで稼いできたかわからないような札束を見たときに、とうとうツチダにぶつかってしまう衝動に駆られたんだろう。こんなになるまで、ツチダを追い込んでいた自分。追い込んでいたくせに、ちっとも先を見ようとしなかった自分。せいいちはそんな自分がいちばん嫌だっただろうな。

不眠不休でせいいちが働くのには、自分のちっぽけな鍵穴を少しでもこじ開けたい気持ちと、ツチダにそんなことさせてちゃダメだっていう責任感があって。だからこそがむしゃらになって、だからこそ曲も見えてきて。

そして、そんなせいいちとは真反対を突き走るハギオ。恋愛とか考えるの面倒だけど、性には正直だから抱くは抱く。奔放な生きかたをするハギオは、せいいちとのことで満身創痍なツチダの心のエアーポケットにピッタリ収まる。

もともとツチダは尽くすタイプで、男の求めることに浸かってしまいがちな体質。ハギオにも相当入れ込んだんだろう。だから再会の場面では、つないだハギオの手をなにがあっても放さない、決心にも似た実直で本能的な顔をしたわけで。

ハギオのために中絶したと平気で言ってしまうツチダにも驚きだけど、それにたいし飄々と呑気な言葉で知らん顔するハギオにはドン引き。共感できるできないの境目を超えて、間違っても手本にしてはいけない人間像。まぁ、それもまたハギオの役柄として魅力なんだけど。

そんなハギオにツチダは別れを告げる、せいいちのパーカーを着て。ツチダはいままでの自分と決別することを、せいいちのパーカーを着ることで決断できたんだ。

この、「せいいちのパーカーを着て」という描写がミソで、この映画においてツチダは「衣服」という観点でさまざまな顔がある。

キャバクラのコスチュームに身を包んだとき。客に連れていかれたホテルで、彼の望む衣装に着替えたとき。せいいちの家に帰るため、普段着を身につけるとき。それらは「脱ぐ」そして「着る」という袖口を通して、まったく別の人間をツチダに与えているようだった。

せいいちとの幸せを願うツチダ。源氏名で働くツチダ。ブルマやスクール水着を着るツチダ。ハギオといるときのツチダ。ひとりの人間にそれぞれの役割を与えること。それは、身につける「衣服」を変えることで、もっと極端にいうと「衣服を脱ぐ」ことで、ツチダが疲弊していく様相そのものだった。

「衣服を脱ぐ都度に不幸になっていく女性」、これほどのアンチヒロインがいるだろうか、と正直に思う。しかし、ツチダがハギオに別れを告げた場面、そこでツチダが着ていた「衣服」はせいいちのものだった。そしてその場面での、ツチダの決心の表情は、それはまるで、つよくある女性が決意した覚悟とともに生きる未来が、そばにいるひととともに幸せであること。脱ぐたび不幸に手招きをされていたツチダが、せいいちのパーカーを「着る」ことでこの決断をできたこと。この瞬間に、悲劇のヒロインだったツチダは、正真正銘のヒロインをかちえたのだ。

結末には、別々に生きていく二人の描写があったけど、きっと彼らはまたあの部屋で暮らすのだろう。ゴミ袋も洗濯物も片づけて、これまでみたいに互いに依存しあった二人ではなく、ひとつの幸せをともに噛みしめる二人として。

やくしまるえつこが書き下ろした劇中歌『ヒゲちゃん』は、「道の向こうに猫がいる」という歌い出しではじまる。せいいちがツチダに「おまえのために書いたわけじゃないよ」と照れ隠しをしていることからも、猫とはツチダのことだとうかがえる。

主人公は、猫と出会ったあとに川へ、山へ、山のなかへ、そしてやがて迷子になってしまう。これはせいいちがツチダとの生活で見失った音楽や夢やしあわせが示唆されている。「迷子のだれかさん」とはせいいちである。せいいちは紆余と曲折を経て、ギターを弾いてでも、手をたたいてでも、うたいたい歌があったことに気づくのだ。それは、ツチダと出会うまえに抱えていた将来にたいするイメージかもしれないし、ツチダと出会わなければ迷わなかった道かもしれない。

しかしツチダは、猫は、また主人公のまえにいる。「3回まわってにゃあと鳴く」のだ。

鳴いたのは、ツチダなのだろうか、せいいちなのだろうか。きっとせいいちだと思う。ツチダの気を引こうと、猫の真似をするせいいちだ。「おまえのために書いたわけじゃないよ」とひねくれたあとにこの素直な歌をうたうところは、どこかせいいちらしいと感じてしまう。



ツチダ役の臼田あさみの、シールドを八の字巻きする立ち姿や、煙草を吸う手慣れた感じとか、受付で音に合わせて体を揺らすところあたりは、やはりさすがオカモトレイジの妻というか。「いるよね〜、こういうスタッフの子!」と思わせる細かな演技が目立った。

せいいちを演じた太賀は、表情で見せる妙みたいな、ツチダを愛する屈託ない正直さが顔に出ててよかった。役者としては幼い顔なんだけど、ヒゲを生やすことでどこか無愛想な風体も醸してて、見てて楽しかった。

ハギオの演技、に関してはもう言うことないわ。スカしたクズ役やらせたら右に出る者はいないよ。外ヅラだけでもオダギリジョーになりたい。



なんでこんなものって思いながらも、そういう救いようのない引力のもとに惹かれあって生きる彼らのすがたは、やっぱりとても愛おしい。まったく共感できない物語なのに、彼らの気持ちと自分の気持ちが心のどこかで共鳴してることは、不思議なことに、内緒のうちに胸にしまっておきたい気分なんだ。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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