“圧倒的唯一無二”King Gnuをシティポップだなんて二度と言わせないんだから

2019/01/27

music

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「King Gnuってシティポップじゃないんですか?」という質問を後輩からいただいたのは、去年の夏のことだった。

2018年夏は、「平成30年7月豪雨」を筆頭に全国各地で記録的な高温になり、9月にかけて台風、地震など災害もつづき、人々から生活を奪った。ときには生活から人々が奪われた。10月に入ってもなお、東京・大阪では、32℃を超す真夏日が多数見受けられた。

King Gnuが「Flash!!!」をリリースしたのは、そんな2018年の7月である。その波紋は日中最高気温とともに業界や音楽ファンに広がり、熱気を高めていった。King Gnuを聴かないひとは、置き去りにされる準備ができている。その言葉に僕は説得力すら簡単に感じられるほどになった。いま、2018A&Wがピークを迎えているなか、King Gnuはなおももっともアツい存在でシーンを賑わしている。

初ワンマンの時点でチケットが完売、追加公演も満員御礼という超新星。そういったバイオグラフィーはまだ瑞々しいはずなのに、アレンジもサウンドも熟達している。「聴いてみたい」というよりも「聴かなければいけない」というある種の強迫観念のようなものすら感じる。素人にも玄人にも通用する楽曲構成、威風堂々とした演奏における個々人のパフォーマンス、わかりやすく才能と自信に満ちたメロディメイクに、ハングリー精神がミックスアップされて現代芸術の域までのぼりつめた。

King Gnuの音楽って、King Gnuだなって感じがする。

もうこの時点で僕は勝利だと思うのだ。部分々々だけでみれば、King Gnuが使うモチーフというのは、あくまでも既存の要素の組み合わせで個性をつくっているぶん、新しい発明は少ない。けれど、ひとつひとつの組み合わせかた、バランスの取りかたが非常に巧みであり、そこから見事に差異を生み出しているから、King Gnuの音楽は響くのだ。

もちろん、それができるのは、メンバー全員の演奏やパフォーマンスがすごく上手いからであり、技術的なアプローチに文句のつけようがないから成立している。技術的に上手いというところから、さらに発展させたところで音を鳴らしているから、より深層部に響くんだと思う。

ほんの少しまえまではSuchmosに滞在していたひとたちの多くは、いま、King Gnuのことを絶賛していることだと思う。2017年に「vinyl」がスマッシュヒットしたころは、Awesome City ClubやYogee New Wavesとおなじカテゴリーに配されがちだったが、いまKing GnuはKing Gnuとして、ひとつの文脈をつくっている。

「シティポップ」という言葉が形骸化されつつある現在、オシャレな音楽をシティポップに分類するひとすらいる。R&Bもエレクトロも、ファンクもディスコもシティポップだとするなら、カマシ・ワシントンもシティポップになりかねない事態である。シティポップって、なんだ? 

ウィキペディアではこう定義されている。

シティ・ポップ (City pop) は、日本のポピュラー音楽のジャンルのひとつ。
正式な音楽用語ではないが、主に1970年代後半から1980年代に流行した、都会的なイメージを前面に出したポップスを指す。60年代、70年代を通過したアダルト層へのアピールを意識したイージー・リスニング的、ミドル・オブ・ザ・ロード的(中道的)でソフトなロック、ポップスなどの総称である。なお、「シティポップ」というジャンル分け用の音楽用語は後年創られており、70年、80年のリアルタイムではAORなどと呼ばれていた。

これによると松任谷由実や佐野元春もシティポップらしい。わけがわからない。

ただ、この定義に則ると、2010年代のいま「シティポップ」と目されている多くのバンドは、シティポップではないことがわかる。SuchmosやYogee New Wavesが「60年代、70年代を通過したアダルト層へのアピールを意識」しているはずがない。

彼らが出はじめた2015年あたりから、メディアでも「シティポップ」という活字をよく目にするようになった。Suchmosの「STAY TUNE」がブレイクすると、あちらこちらで「シティポップ」という言葉を聞くようになったし、カッティングを多用して、バックビードが強調されて、ファルセットでうたうバンドがチヤホヤされたのもこの時期だ。

「シティポップバブル」とでも言えようか、そんな現象がJ-POPを一時的に騒つかせたが、今日日、かつて持て囃されていた「シティポップバンド」は、一部を除いてあまり注目されていない。

Awesome City Clubのatagiは、メディアの取材などでシティポップと括られることに対する違和感をツイッターで吐露し、シティポップブームに便乗するR&Bもどきのバンドが多いことに苦言を呈していた。Awesome City Clubもまた、ディスコやファンクをルーツとしながらも、その洗練された洒脱な音楽から「シティポップ」として注目されたバンドだ。

atagiが感じた違和感は、「シティポップというジャンルに括られたがゆえに、ブームとともに消費されるのではないか」という疑問から来ていたのかもしれない。

だが。

ジャンルの趨勢によってアーティストが消費される、という構造は、残念ながらJ-POPには確実に存在する。メディアやリスナーにラベリングされたジャンルは、勝手に流行り、勝手に消費され、勝手に飽きられ、見向きもされなくなる。残酷だが実際の構造だ。

たしかに、ジャンルにカテゴライズされることによって、陰にあったバンドが日の目を見ることはある。ローファイ・ヒップホップなんかはその好例だ。それに、アーティストを紹介するときに、ジャンルがラベリングされていると説明がしやすい。そういう意味では、ジャンルは便利だ。しかし、ジャンルを知っただけでアーティストを知った気になってしまうという危険性を常時孕んでいる。

その最たる例が、「King Gnuってシティポップじゃないんですか?」という質問だったのかも知れない。

それに、いまブレイクしているアーティストたちは、ジャンルという概念では説明できないような気がしている。星野源もそうだし、米津玄師も、あいみょんもそうだ。もちろんいま注目されてるKing Gnuやずっと真夜中でいいのに。もそうだし、個人的にこれからゼッタイ来ると目測している中村佳穂や小袋成彬も、ジャンルという言葉ではおさまりきらない多様な音楽からのルーツを感じる。

ひとつのジャンルにカテゴライズしてしまうということは、なんだか野暮で無粋に感じる。ジャンルという考えは、もう古いのかもしれない。

聞くところによると、King Gnuには、自身で標榜するジャンルがあるらしい。

ナタリーのインタビューで、いわゆるミクスチャーのカテゴリーをやんわりと否定しているが、カルチャーやサウンドが変幻に交錯する音楽性を「トーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイル」と自称した。

そんな中学生が5秒で考えたみたいな名前、絶対に流行らないと、僕は思うけどな。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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