ヒッピーたちとおなじように片岡輝が夢みたグリーン・グリーンの世界

2019/02/09

music

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「グリーン・グリーン」が7番まであると知ったのは、つい最近だった。

小学生のとき、音楽の授業で習ったのは、たしか3番までだった。当時は、子供ながらに、どこか悲しい予感を孕んだ歌詞だなと感じたものだ。

「グリーン・グリーン」はもともと、アメリカのフォークグループ、ニュー・クリスティ・ミンストレルズが発表した「Green Green」を日本語に訳したものである。しかし、原曲には7部構成など存在しないうえ、「パパ」の姿もない。しいて言えば「ママ」が1番に登場するが、これは日本語訳版に当たる「パパ」の文脈とは呼応しない。こういった実情のため、日本語の「グリーン・グリーン」はオリジナルとは別物だとして、国内外から批判の声があるらしい。

a-Well I told my mama on the day I was born
Dontcha cry when you see I'm gone
Ya know there ain't no woman gonna settle me down
I just gotta be travelin' on
a-Singin'
 (誕生日にママに言ったんだ
僕がいなくなっても泣かないでくれと
女のために身を固めるつもりなんてない
ただ、旅にさすらうんだ 歌とともに)

原曲はこのように始まる。3番まであるが、始終徹底して唄われているのは、「気楽な旅に生きる放浪者の自由の人生」だ。そして、その放浪者の目的地こそが、「丘を越えたさきにある緑あふれる希望の地」なのだ。

「Green Green」が発表された1963年は、リンカーンが奴隷解放宣言を実施した年から、ちょうど100年にあたる。それに際し、キング牧師のワシントン大行進、そして「I have a dream」の名演説はあまりにも有名だ。つまりこの年、アメリカでは南北戦争以来、人種差別問題にたいする国民の意識が高まっていたと言える。

当時、アメリカは参戦の理由も不明確なまま10年以上にもわたるベトナム戦争の泥沼に足を踏み入れ、75年の終戦までに6万人に及ぶ死者を出した。そんななか、公民権運動から火がついた学生運動とも結びついて反戦運動として生まれたヒッピー文化は、既成の価値観に縛られた社会生活を否定する姿勢をとり、既存の体制への反発、あるいは既存の文化からの脱却をはかり、そして自然への回帰を提唱した。この歌もまた、社会にたいするメッセージが色濃く刻み込まれ、ヒッピー文化の一角を担う主張が込められている。

戦争や差別で汚れてしまった社会で、不理解な矛盾や不可解な葛藤、理不尽と不条理のなかで搾取され消費されてしまう生きかたより、得てきたものを捨て、自分の求める人生と世界を目指し、放浪の旅をする。「Green Green」とは、ヒッピーたちの望む希望に満ちた生活であり、丘のむこうに待つ緑の新天地だったのではないだろうか。green=草、つまり麻薬を表すスラングでもあるこの言葉からは、とにかく現実から離れたいというニュアンスが伝わってくる。

ある日 パパとふたりで
語り合ったさ
この世に生きるよろこび
そして 悲しみのことを
グリーン グリーン
青空には ことりがうたい
グリーン グリーン
丘の上には ララ
緑がもえる

「勇気ひとつを友にして」「ひとつの朝」などで知られる片岡輝(かたおか・ひかる) が訳詞を手がけた日本語版だが、「パパ」は、前述したとおり原曲には一切出てこない存在である。7番まで存在する日本語の歌詞は、原詞の翻訳ではなく、片岡が独自に作詞したものと本人がインタビューで認めている。

それまで日本の歌のなかには、親子が心を通わせるような、とくにお父さんをテーマにした曲があまりないなぁと思ったんですよ。あの歌詞は、全く私の作詞でして、訳詞ではないんです。

パパが登場する親子の歌がつくりたかった片岡の耳に、ママが登場するアメリカのヒット曲が届き、インスピレーションを受けて「グリーン・グリーン」が生まれたのだ。

また、片岡はインタビューでこうも話している。

当時は戦争で父親を亡くす子どもが世界にはたくさんいて、日本では交通戦争が始まって事故死するひとが増えたという状況がありまして、

そう考えたときに、たんに片岡が「パパの登場する歌」をつくりたかった当時に、偶然アメリカから流れてきた「Green Green」を利用したという解釈は、あまりに安直で短絡的ではないだろうか。片岡は、戦争と死にたいし、きちんと理解と敬意を示したうえで「グリーン・グリーン」を書いたはずである。

父親と息子が対話を重ねていく歳月が丁寧に描写され、つらい別れの出来事を回想しながら、悲しみに暮れずに息子は強く生きる決意を持つ。

その朝パパは出かけた
遠い旅路へ
二度と帰ってこないと
ラララ 僕にもわかった

日本語版のこの歌では、パパがいなくなった理由が明示されていない。もちろん、病気や老衰なども考えられるが、あまり現実的ではないだろう。「ママ」の存在がない以上、離婚とも考えがたい。この歌の物語性について、作者の片岡は言葉少なにこう語る。

読み手がどう解釈するかは自由です。

僕は、片岡もまた、どういった世界にもいずれにせよ存在する戦争と、それに伴って死んでいくひとの存在に閉塞感を抱えていたのではないかと思う。どこにあるかもわからない緑の地に求めた希望は、アメリカのヒッピーたちとなんら変わりない。歴史上いつの時代にも、争いや諍いというものは大きかれ小さかれ起こるものである。そして同様に、いつの時代にも、ヒッピーたちや片岡のような思想を持っている人間が、緑の地を望む人間が、必ずいるということなのだ。

忘れてはならない。戦争という巨大な軍事力が動く背景に、グリーン・グリーンはどんなときも鳴っているのだ。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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