踊るっきゃねえ不毛の論客『疑惑とダンス』の感情的密室劇

2019/05/28

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53分の怒涛のクロスオーバーで生まれる、多様な人間ドラマと、それぞれの正義感が交錯する呵々大笑の瞬間の連発。映画『疑惑とダンス』である。

狭い店で終始するワンシチュエーションの演出に、『THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY リミット・オブ・スリーピング ビューティ』や『チワワちゃん』で知られる新進気鋭の二宮健監督の手腕が光る。

小一時間に渡りヤったかヤってないかを義憤のままに繰り広げる会話劇と言ってしまえば身も蓋もないが、その不毛さがおもしろい。役者の演技がほぼアドリブで撮られたことを加筆したら、ただの映画じゃないとわかってもらえるだろうか。

アドリブという無限のファンタジーゆえに、会話自体がとても自然体で、演技をしているという感覚がまったくない。隙間なくつぎこまれる意見、反論、同調、非難、擁護…。それぞれのもつ意味や、激越な語調とは裏腹に、台詞そのものは非常にリラックスしていて無理や背伸びがない。

一見すると表看板にたてられたように感じる「コムラとカンナは本当にセックスをしたのか」という話題は、この作品のメインテーマではない。映画のキモは、「セックスした/してない問題」という張りぼての話題を餌に泳がせた6人の登場人物の、台詞の応酬の上に浮き彫りになる、人格や社会性、倫理観といった性格のほうだろう。

なにせ仲間の絆を壊すほどの結論の出ない痴話喧嘩である。サトシは取りまとめが大人びていて、二人を「これで結婚とか無理だろ」と諦観のこもった目線でカンナを非難しているが、もともとカンナへの恋心があったことを考えると嫉妬心を読み取れなくはないし、正義感の他にも相反する感情がそこにある気がする。ツバキは貞操観念がしっかりしていて、女の友情からカンナに「はっきりさせたほうがいいよ」と提案するが、それが引き金で物語はぐっちゃぐちゃになる。女性であるサナとツバキは「この話を蒸し返してどうしたいの? しつこくない?」と現実的な観点からマサオを責め、そのマサオは、カンナよりコムラを信じることでサナとツバキから非難されるが、自分の論点に全員が理解を示さないことで不満と狼狽で大声をあげる始末。コムラは始終カンナとセックスしたことを主張し続け、「好きだった女との、しかも初めてのセックスだった」「7年前のコンドームをまだ実家に持っている」等、童貞感の強い発言で譲らない。カンナは困惑しながら、黙るか、「ヤった」「ヤってない」を双方主張する。論点をいちいち搔きまわすサナは余計な発言が目立つが、カンナにコムラとのセックスを克服させた「イメトレ」発言や、飼っていたウサギのふうちゃんを「虚言だ」と断じられ激昂する瞬間などは絶品である。

観るひとがだれに感情を重ねて、だれの意見に同調し、だれの意見に反発するのか。映画が進むに連れ観客の感情を誘導する6人の配役もバランス感覚が絶妙。サトシはこういう性格で、サナはこういう人生を送ってきたんだなというような、役者が演じるキャラクターの価値観の背景が透けて見える発言の裏に、そのキャスティングを持ってきた二宮健の奇才をみた気分だ。全編ほぼアドリブなのにも関わらず、商業的な技巧でおさめた部分がしっかり存在するのは、ただのアウトサイダーなコメディじゃないことを立証している。

だれかの言論や態度に意見するそのモチベーションは、業腹にはどうしたって据えかねる各々の価値観だ。苛烈矯激な論調で発射される、噴飯に耐えない理屈も彼、あるいは彼女にとっては揺るがすことのできない正義だ。多様性を認めようという社会風潮の醜いところを掬い取って狭い店に詰め込んだような映画だった。

二転三転する論点と、自分の解る部分と解せない部分、ぶっちゃけ全部が無駄なんだが無駄のない感情の焦りと苛立ちはエチュードの醍醐味を余剰排して提供してくれる。我々は他人の喧嘩でこんなにもエモーショナルになることができるのだ。

そして、こんなにもエモーショナルになった我々が全員で平和にできる唯一のこと、もう踊るしかないじゃないか!

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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