言語の視点で考えるPPAP

2019/07/01

music

t f B! P L



もう2019年だし、元号も平成から令和になっているのだが、PPAPがなんであんなに面白かったのかを説明しようと思う。

PPAPの音楽的な解釈は『関ジャム』ほか古坂大魔王の出演したテレビ番組で何回か説明されてきた。高級オーディオではなくスマートフォンのスピーカーから聞かれることを想定したシンプルな音数でトラックメイクがされていること。ウケるお笑いのリズムネタに多いBPM136で設計されていること。カウベルの音を使用し、音階的にV字になるようにメロディが配置されていること。

しかし、PPAP、ないし「ペンパイナッポーアッポーペン」という言葉がなぜこうも受け入れられたのかはあまり考察されていない。そこで、PPAPがどうして面白いのかを言語の視点から説明しようと思う。


◇音声学的視点


まず、PPAPは、音韻として文句なく心地良い韻を持っている。

「P」という口唇破裂音の連続は、ヨーロッパ諸語では特に顕著だが、大人から子どもまで大好きな響きだ。「ピーターパン」や「パイドパイパー」などのキャラクターは、Pの連続を意図的に配することで響きをよくしている。

“Peter Piper picked a peck of pickled peppers.” という有名なマザーグースの早口言葉があるけれど、この早口言葉は「言いにくい」のではなく「口にしたとき心地良い」という意味の早口音葉の代表格である。呪文などにも、たとえば「アブラカタブラ」などのように、口唇破裂音「B」がいいリズムで繰り返されるものが多い。

もはやこれ以上例を並べなくても、「pen pinapple apple pen」が迷うことなく「復唱して楽しい音だ」と世界で幅広く受け入れられることについては、体感的に反論は少ないのではないかと思う。「つい口に出したくなるもの」が流行るのは、特殊な事例ではなく、むしろ普遍的な現象だろう。


◇言語教育的視点


実は世界の大多数を占める非英語圏の人間にとって「英語の勉強の基礎」はだれでも通過しているものだ。いまも、たぶん世界中の教室で、英語の苦手な子どもたち(や、あとからの支援で教育を受ける大人たち)が「This is a pen. I have a pen.」「This is an apple. I have an apple.」みたいなものを暗唱している。

その後、英語が得意になったひとも苦手のままのひともいるけれど、みんな、「あのフレーズ、その後の人生でほとんど使わなかったな、意味あったんかな」と思ってたりする。いや、もちろん文法を学ぶだめに仕方ない過程というのはわかっているけれど。僕も「Is this a door? - No, it is a window.(これはドアですか? - いいえ、窓です)」というフレーズはいまだに暗唱できる。見ればわかるじゃんと思う。

そして、ピコ太郎は見た感じ典型的に「英語が苦手なアジアの変なおじさん」だけれど、それでもむかしに習ったであろう(あるいは習いたての)自分の知っている数少ない英語のフレーズで、強い気持ちで世界に対峙した。きらきらの安っぽい服で「英語ができるシンガー」という自分に酔いつつ、YouTubeでスター気取りだ(というよくできたキャラだ)。

「英語が苦手そう」なのをものともしない前向きなキャラクターは、不快感が薄い。単に下手な英語で歌うだけのひとだったら、おそらく差別的に見えたり、非英語圏の世界のひとを馬鹿にした表現ととらえられる可能性も高かったけれど、力強いポジティブさと当事者性、そしてアジアによくいそうなおっさん、というリアリティでうまくクリアしている。もちろん言い過ぎだけれど、英語が苦手な人にとってはヒロイックでさえある。(これは、いくつかの工夫と、それを超える数の偶然が重なった結果だとは思う)

また「I have a pen. I have a apple.」や「I have a pen. I have pineapple.」という、随所にある冠詞の文法的逸脱も「初学者あるある」「英語しゃべれない国からきたひとの英語あるある」だったりするので、ピコ太郎のキャラクターが世界中に伝わる表現になっている。


◇文法的視点


不思議の国のアリスなどがよく知られていてわかりやすいけれど、文学や論理学、数学などの教育的読み物にはよく「われわれの日常的な論理から逸脱しているナンセンス世界の住人」というキャラが出てくる。そういう人物は、われわれの常識にかたまった日常を見直して「なぜこんな常識があるのか」と考え直させることで知的刺激を与える、大きな意味がある。知育の世界に限らず、文化人でいえばビートルズのジョン・レノンもナンセンス詩人として知られている(I Am The Warlusなんかそうね)。

実は、ピコ太郎もそういう世界の住人である。

自然言語の文法というのは「見たまま」を表現した順番にはならない。僕たちはこんなことを日頃、当たりまえすぎて考えもしない。

たとえばここにウナギイヌがいたとする。ウナギイヌは頭を東に向けている。これが、歩いてくるっと回って、西向きになったからといって「あ、イヌウナギだ!」とはならない。よく考えると、不思議なことではないだろうか。

この手の、人間の音声言語の持つ不思議さを、言葉遊びやなぞなぞにつかう例は、世界中にある。

ペンとアップルを足すと(「Ahn!」)「アップルペン」ここまではいい。

ペンとパイナップルを足すと(「Ahn!」)「パイナップルペン」これもよしとしよう。

ただ、これを両手で持ってくっつけた(「Ahn!」)ところで、左から順に読んで「ペン・パイナップル・アップル・ペン」にはならない。文法的習慣でいうならこの物体は「アップル・パイナップル・ペン」であるはずだ。少なくとも僕の通常の言語感覚ではそうである。なぜだかはわからないけれど、それが人間の使う言葉のルールなのだ。(こういう不思議さに敏感に気づき、謎解きに挑むのが、言語学という学問の魅力である)

ピコ太郎は、そのルールを飛び越えた。「ただの英語が苦手なひと」というものではない、ふしぎの国のアリスのようなナンセンス世界の住人であることが、最後に明らかになる動画なのだ。

その、実は知的な刺激のある洒脱なナンセンスさが、世界に伝わっていると思う。「Ahn!」というセクシーな呪文とともに。


◇結び


「これだからおもしろい」という説明は、本来はただの「野暮」だ。

なぜ流行ったのかといえば、もちろん「努力と才能と経験に裏打ちされた運」という、例の、作り手すべてが飢えているそれだ。僕だって作り手側の人間である以上、分析なんてひけらかしたところでこれまでの無能をさらすだけだ。

でも、一方でPPAPに関しては、日本の文化の外で流行していたという現実があって、「小島よしおやら永野やら、キャラ芸人やギャグは日本にはたくさんあるのに、なぜPPAPだけこんなに世界でウケたの?」という違いに気づかないひと、違いを見ようともしないひともいただろう。地球のスケールで届く普遍性について、という少々の大風呂敷を広げてよければ、「これだからおもしろい」という醜い論にも多少の意義はあるんじゃないだろうか。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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