YUKIの信じる靭さの秘訣「聞き間違い」の生き様

2019/11/01

music

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先日、槇原敬之が自身のアルバムにおいてカバーしたことでも話題だが、YUKIの「聞き間違い」(2017年リリース『まばたき』収録)、この歌は本当にすごい。

「風」の使いかたが、他のJ-POPシンガーあるいは作詞家たちとは一線を画して秀でている。まるでYUKIが“風使いの魔術師”のようだが、この歌に関しては作詞のロジックとしてまさしくYUKIは“魔術師”である。

邦洋を問わず、「風」はいろいろなことをお見通しな物識りとして歌詞に描写されることが多い。もっともポピュラーなところでは、ボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」だろう。

The answer, my friend, is blowin' in the wind
友よ、答は風に吹かれている
The answer is blowin' in the wind
答は風に吹かれているのさ
(Blowin' in the Wind / Bob Dylan)

“答は風のなか”で有名な「風に吹かれて」(1963年)である。

例はここにとどまらないが、そよ風の柔らかな音を喩えにして、風というのはなにかを囁いてくれたり、あるいはディランのように、自分の苦悩や葛藤を一瞬で雲散霧消させる魔法のような解答を知っている身近な存在とするのが、もはやセオリーである。「風」の特徴や現象的特性を生かして、もっとも喩えとして魅力を引き立てる描きかたというわけだ。

さて、本題に入ろう。YUKIの「聞き間違い」である。

もちろんディランの綴った「風」や、後世それに倣い風をメタファーとして扱ってきた詩人たちを、肩の上から凡庸などと断ずるつもりはないが、少なくともYUKIの書いた「風」はそれまでになかった非凡な表現である。

どういうことか?

「聞き間違い」で描写される風は、吹いたころで言えば「あのとき」とされる。主人公にとってのあの日あのとき、思い出に吹いていた過去の風である。

さらに、歌詞のうえで「大丈夫」と主人公に囁いたとされているが、実際に風が「大丈夫」と囁いたかどうかは判然としておらず、あくまでも主観に基づいて「そう聞こえた」と判断しているに過ぎない。

あのとき 聞き間違いでないのなら
風のなか 「大丈夫」 そう聞こえたよ
(聞き間違い / YUKI)

冒頭では、風に言葉を遮られたような描写もあり、またサビでは「風向きが変わっていっても」と表現されている。つまりこの歌において風は、敵でも味方でもない、いわゆるただの風である。なにかを識っていて、歩きなずんだ主人公を導いてくれるわけではない。ただ風は風のまま風でしかなくて、なにかに喩えたり、象徴として扱っているわけでもない。

あくまで主人公の主観を透過した、様々な様子の風を活写したにすぎないのだ。

一方で、YUKIの骨頂とも言える“ださかわ”な比喩的ファンタジアが随所に織り交ぜられることで、主人公が視覚的に見たままの光景と、それをYUKIがフィルタリングして置きかえた言葉が錯綜する、個性的な作詞術がふんだんに盛り込まれている。

一番では、視覚の宛先を「君」にしている。君の表情を丁寧に描写するフレーズが多く、「哀しみが頬を伝い」という表現から、君が泣いていることも明らかになる。

たいして二番では、君からカットを引いて、視点を街並みに移している。「折り鶴」や「傘」「大都会の魚」など、YUKIのドリームポップの世界から引き抜いた比喩的ファンタジアで、メルヘンチックに社会と実情とを色とりどりに描きながらも、「とびきりの変顔を待ち受けにしよう」という実生活に寄り添った場面をフレーズとして挿入することで、この二人はメルヘンの世界ではなく、我々とおなじようにこの世界を生きる人間なんだということを改めて認識させられてハッとする。

夢を追いかけることを「星へ続く梯子を登る」と形容することもそうだが、YUKIはこのあたりの押し引きが本当に巧みだ。ただのドリームポップに終始することは容易だが、そのドリームポップを、あくまで現実を生きる人間がフィクションとして書いているんだという気づきを得る言葉は簡単には思いつかない。さらに、それらの言葉たちを矛盾や違和感もなにもなく同居させることは技術だけで見れば相当高いところにあるだろう。しかし、なにより特筆すべきは、技巧、打算、企画、セオリー、ロジック、そういったものをほとんど考えずに、これまでの名曲の数々をナチュラルボーンで書き続けているYUKIの作詞センスである。

私にしかうたえない歌があるんだ
(聞き間違い / YUKI)

おっしゃるとおりである。JUDY AND MARYのヒットから、YUKIの歌唱法を真似たり、明らかな影響を隠そうともしないシンガーは2019年のいまでも数多い。しかし、それにたいして作詞における言語感覚や、文芸表現としてのYUKIの歌詞は、彼女の唯一無二の感性であり、価値観である。安易な模倣を許さない独自独特のポップセンスに、追随する者はあまり類を見ない。

私にしかうたえない歌がある。もちろん、そう言い切れるのは不確かな自信からきている。しかし、「聞き間違い」だという勘違いだとしても、可能性にたいして諦めない気持ちや、現実に際して挑戦してみるという、向こう見ずな勇気は勘違いから生まれるものだ。

「暗闇に覆われて」「朝焼けに足る」そして「並んだ2つの影どこまでも伸びていくよ」とある。「午前5時」という言葉が示すように、二人に希望という名の太陽がもう少しで昇ることを予感させている。勘違いでもいいから、君も、私とおなじように前へ進もう。そうすれば、暗闇は失せて朝焼けを迎えられる。

素直で明るいだけで人には価値がある
(聞き間違い / YUKI)

勘違いでも、聞き間違いでも、素直にそれを受けとめて歩いていけば、未来はひらかれる。だからきっと、風も「大丈夫」だと言ったに違いない。そう信じることができるのはYUKIの靭さの根源でもある。この歌の表題が「風」でもなく「大丈夫」でもなく、「聞き間違い」であるのも、力をこめてそれを信じていこうというYUKIのポジティヴィティーにあふれる生き様である。それこそが、そしてYUKIの信じる靭く生きる秘訣なのだ。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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