これは「クォーターライフ・クライシス」といって、25歳から30過ぎくらいのひとに顕著にみられる幸福の低迷期らしい。アイデンティティの混乱、誤った目標設定、希望の衰退。うわあ、ぜんぶ心あたりがあってこわい。
自分がやってきたことは不正解じゃないし、だれかと比べてどうだこうだ言うのはナンセンスなのも承知してるが、そもそもそれができひんからクライシスなわけで。いつだって不自由は解放と隣り合わせや。
2年ほどまえだったか、京都で開催された文フリに持っていった『デッド・オア・フォーエバーヤング』というワタクシのゴ著書がゴザイマスけれど、あれは本当に10代後半から20代前半にかけた僕の、低迷や劣等だったり、自己否定感や挫折といった負け戦をなんとか生き延びてきた感情がコンプレッサーもかけずに大小とりどりと書き連ねてあるので、こういうときに読むのは我が作品ながら向いている。読む手段ないと思うけど、あのとき買ってくださったかたは読んでほしい。
いままで本って何冊か書いてきたけど、主だって残っているのはもう『ため息なぞ、風にくれてやる』『名前なら、とうに棄てたんだぜ』『花束、右手でまるめっちまいな』『水中で泳ぐ真夜中』『砂時計の廻しかた』くらい。学生のときに書いたものも含めればもっとたくさんある気がするけど、あんまり蔵出ししたくないしな。
30過ぎたら、クォーターライフ・クライシスが終わるころがやってくるとしたら、そのときにまたあらためて一冊つくりたいなと思ってる。けっこう本気で。
ビートはいつだって自分のもの。だれかが不幸せになるようなビートなら鳴るなよ。
急くからし損ずるので、焦らな〜い焦らな〜い。おまじないをかけて20代最後の年、バンドも半分解散して絶望の沙汰で迎えるラストイヤー、かましていきたい。
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