ライフワークと言っても過言ではなかったライブハウス行脚に、もうずっと行けてない。
時世柄、仕方のないことではある。ライブハウスは三密を極めたような場所だ。営業なんてできない。何年もかかる長期戦と言われるなか、全国のライブハウスが資金繰りに追われている。支援する動きもあるが、圧倒的な新型コロナウイルスの猛威のまえでは焼け石に水だろう。
悲しいことではあるけど、諦めることになるライブハウスも出てきている。ただ、ライブハウスで育った僕としては、無理はしないでほしいと願う。人間の個の幸せよりも優先されるべき、音楽の種の幸せなどないのだから。
2010年、世界の終わりの場合
10年まえ、まだ僕が学生だったころ、アメリカ人留学生の友達ニックと名古屋にあるCLUB ROCK'N'ROLLに行った。なんてことのない新栄の夜のビジネス街の一角。Family Martの路地を少し入ったところにある小さなライブハウス。ニックは、初めて日本で観る日本人のライブに、すでに興奮していた。
「Heart the eartH TOUR」このツアータイトルにピンとくる彼らのファンが、10年後のいまどれだけいるかはわからない。いまでは、離れてしまったひとも多いと思う。それでも僕は、当時仲の良かったニックと、おなじくして初めて観に行くこのバンドが楽しみだった。
重たい防音のドアをくぐり、きいたことないバンドのフライヤーやステッカーがひしめく壁に囲まれたロビーを抜ける。どこのライブハウスでも通る光景だろう。バーカウンターを左手にフロアに入ると、留学生ニックはあたりをキョロキョロと見回しながら、祖国のことを話してくれた。
アメリカには、ライブハウスと呼ばれる場所がない。彼が、売れるまえのオフスプリングを観に行ったのは、シカゴにあるボウリング場だったらしい。そのボウリング場は、様々なバンドが売れるまえの登竜門として通過するライブ会場として有名だったそうなんだが、しかしライブハウスではない。
アメリカでは、売れないバンドがライブをしたかったら、バーやレコード店、だれかの家の地下を借りるしかないそうだ。ちょっと売れてくると、多目的な市民ホールや体育館を貸し切る。いずれにせよ、どれほど地域にとって音楽の場所やコンサート会場として認知されていようとも、ライブハウスではない。
もちろん、アメリカには文化全土にロックが根付いているので、大体どこのカフェバーや駐車場で演奏していても、「やってるなー」くらいにしか思われないし、なんならそこから広がる流行の波紋だってある。レストランにステージが併設されていて、ダンスや演奏を見ながら社交する風景を見るのは日常茶飯だそうだ。
しかし、そんなロックンロール大国アメリカでさえ、ライブのため、音楽のための「ライブハウス」という場所は存在しないのだ。
「ダカラサ、こんなにも音響設備や照明機器の揃った、音楽のためのステージがある場所に来れて、いまとってもエキサイティングなんだ。日本ってイイナ」
そうか、オアシスもリバティーンズも、アヴリル・ラヴィーンも、日本に来て初めてライブハウスで演奏したんだ。すげぇな、日本。
「ライブハウス育ち」、この生い立ちは、ひょっとしたらとんでもなく恵まれている音楽環境だったのかもしれない。
2011年、浜田省吾の場合
「レオくん! まえ音楽好きやって言ってたよね? 今日は4限で授業終わり?」
焦り気味に声をかけてきたのは、おなじ大学に通う50代の主婦・今元さんだった。「浜省のライブのチケットがあるんやけど、家の事情でどうしても行けんくなってしもて…。わたしの都合で空席をつくりたくないから、よかったら観に行ってくれない?」
「いいんですか?」と訊いたら、「もう譲り先を探す時間もないし、だれかが観てくれたほうが嬉しいから」と、足早に去ってしまった。
浜田省吾って、聴いたことないんだけどな…。うちの母親がむかし好きだったって言ってたっけ? いまも新譜出してんのかな…? 突然渡されたライブのチケットについて、あれこれ考えていたとき、おなじ授業を受けていた女子大生が何人か出てきた。「ねぇ見た、今元さんの」「見た見た、よくあの歳であんな色の服着れるよね(笑)」「あたしですらちょっと恥ずかしいわ(笑)」
今元さんは、主婦業と両立させて大学で文芸学を学んでいる。50代と、僕らから見れば親子ほど歳の離れたひとではあるが、パキッとした派手な色を好み、地味で目立たないおばさんという印象はない。
もし今元さんが──。
僕ではなくて彼女たちに声をかけてたら、50代でまだライブに?とか陰口を叩かれていたんだろうか。歳をとったらできるだけ地味に生きなきゃいけない義務でもあるのか。ライブは若者の行くところなのか。なんだそれ。
それでも──、子どものころあんなに好きだったウルトラマンや新幹線が、年齢とともに全然響かなくなったように、歳をとって魂が震えるような感動がなくなってしまうとしたら、それは怖い。怖いというより、そんな未来はワクワクしない。
「このまえのセトリ、あれ最高だったよなーっ!」
モヤモヤとした気持ちで電車にゆられ、モヤモヤとしたまま会場に着き、モヤモヤとしたまま開演を待っていたとき、耳に飛び込んできた。
「『ミッドナイト・ブルートレイン』、今日演ってくれるかな〜?」
「あ、それ武道館限定Tシャツ! いいな〜、わたしも欲しかった〜」
「バック最近いいよな。岡部磨知がいるらしいぜ」
「それでさー、最近は息子まで浜省聴いてやんの」
な、なんだこれ。
ハッとして周囲を見ると、自分の親とおなじくらいの世代のひとたちが、青春の真っ只中にいるような輝いた表情をしている。この会場全体が、好きと尊敬の熱量で満ちていて、みんなすごくいい顔をしている。
そっか、なるほど。ミュージシャンって、すごい。
未来が、なんだかワクワクしてきた。
2015年、中村佳穂の場合
19時04分に二条から乗って、烏丸御池での乗り換えに失敗しなかったらギリギリ開演には、って感じか…。残暑の9月、UrBANGUILDで行われる、京都精華大学に通う友人・中村佳穂のライブなのだが、予定が押していて間に合いそうになかった。
バイトでミスして、店長に怒られ、正直あがるまで何度も折れそうになったが、このライブを心の拠り所にして、一日をがんばりぬいた。
入口の受付で取り置きしてもらっていた名前を告げ、なんとかステージの見えるところを位置取ることができた。
開演して思った。このライブハウスは、演者が近い。アコースティックギターを爪弾いたとき、弦が震える残像まで見える。そして中村佳穂、このひとのステージは本当にすごい。初めて見たときから、おなじ京都にこんなひとがいるのかと度肝を抜かれた。なんて自由に音楽をやるのだろう。なんて自由に、歌をうたうのだろう。
あっという間に人気が出たのも納得するし、今日こんな形式のライブが見れて運がいいな。そう思っていたときだった。
グラっと頭が揺れる鈍い音、急に気持ちが悪くなった。さっきまでなんともなかったのに…。
一旦、フロアの外に出てドアの前で休むことにした。体育座りをする僕に気づいたライブハウスのスタッフが水を用意してくれて、それを僕が飲むあいだにパイプ椅子を組み立て、顔色がマシになったころになかに案内してくれる。
なにもかもありがたい話だ。「またなにかあったら声をかけてくださいね」と、鈍く鳴る頭にやさしさが沁みる。
すると、壁際の席に座っていた男性が声をかけてきた。「あの、良かったらこちらの席と変わりませんか? 周り立ってるし、そこで座っててもよく見えないでしょ?」
なんてこった、やさしいひとしかいないのか、ここは。しかし、「あ、いえいえ、ちょっと見えてるので大丈夫ですよ」と、体調が優れないせいで気の利いた礼も言えない自分が情けなくなる。
せっかく楽しみにしていたライブだったのに、しっかり観ることができなかったな…。帰りにドリンクカウンターにいた、さきほどのスタッフに声をかけた。「今日はどうも、ご迷惑をおかけしました」情けなさからあたまを下げることしかできなかった。「ああ、そんな、全然」と、彼は言った。
そして「よかったらまた、ライブハウスに遊びにきてくださいね」と、屈託のない笑顔で付け加えた。
気持ちが言葉にならなくて、目元をうるわせながら「はい」とだけうなずいて、UrBANGUILDをあとにした。
いつか、ここに帰ってこれたらいいな。自分にもできる恩返しは、なにかあるだろうか。
結び
いくつもの気づきがあり、いくつもの感動がある。生身の人間が楽器を演奏して歌っているだけで、筆舌に尽くし難い興奮をもたらしてくれる。それがライブハウスだと思う。
いまでも、僕はたまに思う。
あのとき、あのライブハウスに行けてなかったら。アメリカのライブ事情も、ロックンロールおじさんの興奮も、ライブハウスの優しさも知らなかったんだ。ひとによっては知らなくてもいいような、いっぱしの文化を体験したにすぎないかもしれない。もしそれを知らなくたって、手にする幸福はたくさんあるような、ろくでもないものかもしれない。
しかし、文化なんてそもそも、ろくでもないものから生まれてくる感情の総体なんじゃないだろうか?
さしあたっては、ライブハウスで育った僕は、ライブハウスで育った僕を、だれにだって自慢していく所存である。
コロナがなんだ、三密がなんだ。音楽は、歌は、それでも死ねないんだ。ステージのうえから放りこまれる言葉は、こんなことで潰えるほどヤワじゃあないんだ。
いつか、またライブハウスでロックバンドがうたう日が、かならずやってくる。そしていつか、ライブハウスに帰ってこれたら、僕はまた、きっと泣いてしまう。
ただいまと、言わせてほしい。
そのときは、おかえりと迎えさせてもほしい。
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