神様の彼女

2021/02/23

essays music

t f B! P L

音楽を好きなひとになら、だれにとってもロックの神様がいると思っている。

音楽の記憶と憧憬の真ん中にいつもいて、きっとギターを持っている、そのひとにとっての音楽の道しるべとなる神様だ。

たくさんの先人が紡いできた歴史をつなぐロックの神様は、分厚い教科書であり、仲のよいクラスメイトであり、歩きなずんだときに音楽を導いてくれる恩師のような存在でもある。

レコードに囲まれた幼少期を過ごしたひとにとっては、父親が。音楽に詳しい友人を持ったひとにとっては、その友人が。あるいは近所の楽器屋のおじさんが、あるいは学校の音楽の先生が、そのひとにとってのロックの神様である。

いつだってロックの神様は、些細なきっかけを落としてくれて、思い出からふっと顔を出して、決断したことを肯定してくれる気がする。でも、ロックの神様と会話すらできなかった青かった時期が、僕にはある。






中学生のころ、音楽の授業で、好きなCDをみんなで持ち寄って、一曲だけプレゼンするという鑑賞会があった。私立高校の入試の前後にあったこの授業は、ほとんど消化授業というかたちで、僕も中途半端なモチベーションで参加したと思う。

クラスメイトが持ってくるのは、レミオロメン、木村カエラ、UVERworldなどで、どれも当時のチャートをにぎわせていたヒットアーティストだった。僕自身、YUKIの『Wave』という、当時のロングヒットアルバムを持っていった記憶がある。

歌詞が感動する、テンポが気持ちいい、ギターがかっこいい、みんな様々な理由で自分の好きな曲を紹介してはながし、クラス全員で聴くというのはなかなかおもしろい時間だったし、意外なひとが意外な音楽を好むことがわかって、卒業直前にしてたのしい授業だった。

そんななか、一人だけビートルズのCDを持ってきた変わり者の女の子がいた。クラスでも寡黙で、本ばかり読んでいた彼女とは一度も会話したことがなく、またビートルズも、有名な海外のひとたちだなという印象しかなかった。

彼女は、ビートルズの初期のベストアルバム「赤盤」から『In My Life』という歌を選び、こう話した。

「これほど美しい愛の歌を、わたしは聴いたことがありません。こんなに目のまえのだれかを愛したことも、ありません。この歌を書いたのは、20代半ばのジョン・レノンだと言われています。わたしはこれから何年もかけて、いつか愛を知ったとき、少しでも彼に近づけていれたらと思います。短い歌ですが、聴いてみてください。The Beatles - In My Life」

ほかのクラスメイトとは明らかに異なる雰囲気の言葉だった。しゃべっている姿すらめずらしかったのに、語彙が大人っぽく文芸的で、はっきりと話すのはとても魅力的に見えた。不思議なことに、ほとんど一言一句、たがわずに憶えている。地味で、ひとづきあいの少なかった彼女が、真っ直ぐな眼差しでこの歌への気持ちを話す姿に、恋に落ちたときとよく似た感情をおぼえた。






卒業後、彼女とはおなじ高校へ進学した。僕は理数科で、彼女は普通科。接点なんて見込めなかった。それでも、彼女に近づきたくて、一生懸命ビートルズを聴いて勉強した。当時からバンドをやっていたので、年上のロック好きなおじさん世代によく「若いのにビートルズ詳しいなんてカッコいいねえ」なんて言われたが、クラスメイトの女の子に憧れて、必死に知識を詰め込んでいただけの自分が、ちょっぴり情けない。

高三の文化祭で、僕は即席バンドながらステージに立つことになった。彼女が軽音のステージを観にきてくれるかなんてわからない。でも、1バンドあたり3曲しかない持ち歌に、どうしてもこの『In My Life』を入れたかった。直接的な言葉で伝えずに、演奏することで届けるのがロックだ、と履き違えていた恥ずかしいところもあった。ギターやキーボードを自分なりにアレンジもして、ビートルズを勉強した成果を見てほしかった。

それでも結局、一度も話す機会がないまま高校も卒業を迎える。ビートルズのことも、憧れてたことも、伝えることは叶わなかった。






楽器を演奏するとき、様々なひとに向けて、届いてくれ!と願いながら弾いている。でもあのときほど、僕の演奏がだれかに向かっていたことはなかったと思う。大学でバンドを続けたとき、もうただの、何百人の同窓生のうちの一人になってしまった彼女に、いつか届かないかなって、ずっと願っていた。

ビートルズを教えてくれたこと。青春の憧れになってくれたこと。本当に感謝している。でもあの歌、『In My Life』にならうなら、それも過ぎ去った愛すべき思い出で、目のまえにいるひとをなによりも愛することが、本当に尊いことなんだといまならわかる。

しかしこの、僕のロックの神様であるところの彼女と、大人になってから少しだけ再会することになる。






「あなたにとって奇跡ともいえる運命的なドラマが用意されるとき、その舞台はいつだってさりげなく普通で、何気なく生活である。ステージのうえでドレスアップする必要はなく、ただのあなたの毎日を生き続ければいいのだ」

ある映画の一幕である。それくらい運命はありていな、いつもの生活に訪れる。二年前のその日の僕も、ベースを背負って、ジーンズにスニーカーという普段着の出で立ちだった。「マスタープラン」のTシャツを着てた以外は。

地元の駅のホームで電車を待っているあいだ、となりにおなじ年頃の女の子が立っていることには気づいていた。電車が来ても、僕とその女の子は動かずにホームに立っていた。いま来た電車は特急で、僕(とおそらくその子も)が乗るのは準急だったからだ。しかし、特急が停車するわずか十数秒の乗降車の時間に、車窓に反射して映る彼女の着ているTシャツが「ディフィニトリー・メイビー」であることに気づいた。

えっ、と思ってついとなりを見てしまった。驚いてまじまじ見ていると、こちらの視線に気づいた彼女は僕のTシャツを見て「あっ」と言ったあとフフッと笑って会釈した。

「オアシス好きなんですね」と話しかけてくれて、僕は彼女の着ていたオアシスの「ディフィニトリー・メイビー」のジャケットを、高校生のころクラスメイトとパロディして写真を撮り、文化祭に出展したことがあると話した。すると少し考えて、「それ知ってるかも」と彼女は言った。

これが、僕が12年越しにロックの神様と交わした最初の会話である。






各駅停車の準急のなかで、僕は中三までさかのぼる12年ぶんの思いの丈をぜんぶ話した。音楽の授業で知ったビートルズが本当にカッコよかったこと、紹介してくれたあなたにずっと近づきたくてビートルズを聴いていたこと。文化祭でビートルズを演奏したこと、結局話す機会がなかったこと。ぜんぶ話した。

ぜんぶ話したら、彼女は当時を懐かしみながら「言ってよー」と笑った。まぁ、中学のときに思いきって話しかけていたらきっと会話のきっかけにもなったし、「言ってよー」なんだけども…。

そのあと連絡先を交換したわけではなかったけど、ビートルズをめぐる青春の憧れがめくるめく速度で完成された感じがした。最後のピースがハマったような、とにかくこれで、燃えきっていなかった僕の憧憬が一枚画として終われたのだ。






オアシスが結んでくれたビートルズの縁。ビートルマニアのギャラガー兄弟じゃなかったら、きっとこんなことにはならなかった。ザ・フーでもツェッペリンでもダメだった。あの日は、オアシスじゃなきゃダメだった。

ロックの神様は、ほとんどのひとにとっては身近な存在で、僕みたいに憧れであり続けたロックの神様は少ないかもしれない。それでも、流行りすたりの音楽しか聴かなかった当時の僕に、ロックンロールの血液を流しこんだのは紛うことなき彼女であり、そんな彼女はロックの神様だ。

27歳という、ロックにとってはおどろおどろしい年齢で出会えた神様に、少しは音楽的な意味があっただろうか。いまでもときどきこのことを思い返しては、「ま、でもジョンが死んだのは40だったもんな」なんて、のんきに考えている。

おわり

このブログを検索

自己紹介

自分の写真
好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

お問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ