藤井風の『帰ろう』がすごい

2021/02/09

t f B! P L
藤井風の作品のなかで『帰ろう』という曲がある。『帰ろう』は、ファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』のラストを飾る、いわゆるアルバム曲である。2020年9月4日にはミュージックビデオがYouTubeにて公開された。

なんと美しい時間だろう。藤井風という人間が生のまま発する、優しくも強大なエネルギーに圧倒される。ひとはまだこんなにも心を揺さぶるメロディが書けたのか。こんなにも世界は可能性に満ちたものだったのか! そんな扇情さえ感じる衝撃である。

僕はこの曲を聴いて、藤井風のある種のファンになってしまった。好きなアーティストはたくさんいるが、そのなかでも藤井風は特別な存在になった。

冗談ではなく、僕はこの曲を聴いて頻繁に泣いている。大人になるまでのさまざまな出来事でボコボコにへこんでしまった魂の、そのへこみひとつひとつにフィットするような音がそこに鳴っているからだ。また、そのような言葉が語られているからだ。

藤井風は、帰ろうという曲について、「神からの贈り物である」「『この曲を出すまでは死ねん』と思った」と話している。さらにこの曲のテーマについて「幸せに死ぬためにはどう生きたらええの?」と自身に問いかける、という内容であるとしている。このあたりはまた後述したい。



『帰ろう』のここがすごい


『帰ろう』は、完璧な曲だ。と言ったら大げさになるのかもしれないが、少なくともJPOP曲という枠組みのなかでは抜群に優れている。その根拠を、“JPOP曲の5大要素”に照らして私見として述べていきたい。なるべく理性的で理論的な内容にしたいと思っている。なお、どっからどこまでがJPOP曲なのか、JPOP曲とはなんなのかという議論には踏み込まずに進めていく。あしからず。

“JPOP曲の5大要素”とはなにか。それは僕が勝手に提唱している、JPOP曲の価値尺度である。すなわち、JPOP曲の価値(良さ)は、次の5つの要素の組み合わせで計れるという考えかたである。

 ①歌詞
 ②編曲
 ③メロディ
 ④歌唱
 ⑤ヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性 

音楽の価値尺度は他にもいろいろあると思うが、JPOP曲を評価するにあたってはこれらが重要な要素であると思う。つまり、①歌詞が良くて、②編曲もかっこよくて、③メロディも素敵で、④歌がいいかんじで、⑤見た目とか曲に付随してる情報も良い。そんな曲が、「良い曲」であるという、数あるうちのひとつの考えかたである。そういうわけで、『帰ろう』についての私見を、これらの5つの要素に照らしながらそれぞれ述べていきたい。



『帰ろう』の歌詞


『帰ろう』は、歌詞がすばらしい、という話をする。歌詞はJPOP曲の最重要ファクターである。みんなJPOP曲のなにを聴いているかといえば、歌詞を聴いているのである。それだけ重要だ。一般に、優れた歌詞には一貫したテーマやメッセージがあると僕は考えている。別に、そのテーマやメッセージ自体が高尚である必要はないが、全体を見たときに貫かれている芯がないと優れた歌詞とはいえない。

『帰ろう』の歌詞には貫かれているテーマがある。それを端的に語るとすれば次のようになると思う。

 1、傷、渇き、憎しみ、そして過去への執着を感謝と共に手放そう。
 2、この世を去るとき、執着は無意味だ。
 3、あなたはどう生きるか。

最重要のキーワードは「手放す」である。(以下カギカッコ内は歌詞の引用)

「もうどうでもいいの 吹き飛ばそう」
「わたしが先に 忘れよう」
「何も持たずに帰ろう」
「ひとつひとつ 荷物 手放そう」

これらのフレーズはいずれも、手放すことに関係するか、近い意味のことを言っている。手放す対象は、「傷」「渇き」「憎み合い」というネガティブな「荷物」である。「わたし」自身も時には「未練」に囚われることもあるが、「去り際のとき」、つまり死ぬときは「何も持っていない」のだからそれらの「荷物」は無意味だと気づき「忘れて」「流して」いくことで、「手放そう」と、強烈なメッセージを放っている。

そのメッセージは、曲中、「少年」に対しても語られている。おそらくこの少年は藤井風自身で、声をかけているのは藤井風のハイヤーセルフ(達観したもう一人の自分)であろう。5時の鐘(夕方の帰宅を促すチャイム)が聞こえない少年は、「瞳は汚れ」(ネガティブな荷物にとらわれて)「帰」ることを忘れている。

「それじゃ それじゃ まるで
全部 終わったみたいだね
大間違い 先は長い 忘れないから」


この辺は、譜割り(音楽的な都合)のせいで少々言葉足らずにも聞こえるが、実は結構厳しいことを言っている。それは“ネガティブな荷物に囚われた状態は、何もかも終わりと感じられるような絶望かもしれないが、未来に目を向けよう。”というメッセージだ(前を向くことは時に難しい)。

また、「大間違い」と、強い言葉で否定していることから、「先は長い」というのも “そのままではネガティブな苦しみがずっと続いてしまうよ” とたしなめているような印象を受ける。

なぜネガティブなものにとらわれてしまうのか? それは、ネガティブな荷物を「忘れないから」である。とらわれて、抱えてしまって、なかなか手放せないのである。

だから、このパートは、とらわれの鎖を断ち切ろう、「全て忘れて帰ろう」「わたしが先に忘れよう」というメッセージに繋がるのである。

(この部分、特に「忘れないから」は意見の分かれるところだと思う。僕の解釈では、「忘れ」るという言葉はサビでタイトル「帰ろう」と結びつくかなり重要なワードなので、サビと意味内容を揃え、「手放」すなどと同義か近い意味の言葉と考えた。“そんな重要なワードを同じ歌詞のなかで違う意味で使うはずがない“、という想定が一応の根拠である。)


次に重要なキーワードは「別れ」である。これは自分の死のことを言っている。

「手放」すことと近いニュアンスであることからもわかるとおり、この曲のなかでは「別れ」はあまりネガティブなものとしては描かれていない。「それが運命だね」と、あっさりした感じだ。

国道沿い前で別れ
続く町の喧騒 後目に一人行く


そういうようなものだと、自分の死を捉えているのだろう。

「怖くはない 失うものなどない」。だって、自分が死んでも「なにひとつ 変わらず回るから」。その気づきこそ、またひとつ「荷物」を「手放」すことであり、「少し背中が軽くなった」出来事のひとつなのである。執着を「手放」す具体例が語られている。


そしてとっておきのキーフレーズ「今日からどう生きてこう」である。

このフレーズは、曲の締めくくりである。一行だけであるが、大きな意味を持っている。この一行によって、それまで語られたことのすべてがリアルになる。

藤井風が自身のことをリアルに語っていたことが明らかになるし、リスナーは語られたことを自分自身のこととして考えることができるようになる。

なんて素敵な仕掛けだろう。

誰しも「傷」や「渇き」を抱えている。「去り際の時」にどう振舞うか? その時まで何を抱えていくか? あるいは「手放」すか? そういったことを、藤井風は自身に、そして我々に問いかける。

答えは自分で見つけるしかない。

そんなにえらそうなことを言って、藤井風はそんな完璧な人間なのか?

いやいや、そんなことはない。藤井風は瞳が汚れた「少年」であり、「未練こぼして」(=過去に執着して)しまう、「渇き」(欲望)が癒えないで「ください ください ばっか」の、ただの「人間だ」ということを自ら歌詞中で認めている。われわれや、他のみんなと大差ない存在なのだ。そんな彼が「わたしが先に忘れよう」と、われわれと同じ目線から言ってくれている。別に「生きてきた意味」だとか、人生の目的とかがはっきりわかっているわけではないただの「人間」の目線だ。だからこそ、リアルで価値があるメッセージを感じ取れる。

以上見てきたように、『帰ろう』の歌詞には一貫したテーマがあり、そのテーマが胸を打つ内容になっていることがお分かりいただけただろう。



『帰ろう』の編曲


『帰ろう』は編曲もすばらしい、という話をする。

編曲とは、歌の伴奏を決める作業のことである。編曲はJPOP曲においてかなり重要なファクターである。編曲次第で、その曲の輝きが決まるといっても過言ではない。その曲がダサいかカッコいいかは編曲によって決まる。なおここで“JPOP5の大要素“のひとつとして挙げている編曲という言葉は、通常の意味の編曲に加えて、コードワークや和声、演奏、音質やサウンドなども含む割と広い概念であると承知願いたい。


『帰ろう』の全体の構成を見ていこう。

イントロ
1番Aメロ(あなたは夕日に溶けて~)
1番Aメロ´(あなたは灯ともして~)
1番Bメロ(それじゃ~)
1番サビ(ああ 全て忘れて帰ろう~)
間奏前半
間奏後半
2番Aメロ(あなたは弱音を吐いて~)
2番Aメロ´(わたしのいない世界を~)
2番Bメロ(それじゃ~)
2番サビ(ああ 全て与えて帰ろう~)
2番サビ´(憎み合いの果てに何が生まれるの~)
アウトロ

一般的にAABC構成と呼ばれるような、非常にシンプルな構成である。

次に使用されている楽器を見てみよう。
ざっくり書くと、


ピアノ
ベース
ドラム
パーカッション類
ストリングス

くらいだと思う。これまた非常にシンプルだ。このように構成や楽器編成がシンプルでも曲が成立するのは、この曲が非常に優れたメロディを持っているからだと思う。この曲において、ストリングスは非常に重要である。ストリングス(バイオリンなどのクラシカルな弦楽器隊)を、極めて印象的にフィーチャーしている。

他の編曲の特徴としてはハモリがないくらいだろうか。一般のJPOP曲は感覚的に9割くらいの曲でボーカルのハモリが入るが、『帰ろう』ではまったくない(ただし、サビで一部薄くオクターブユニゾンが入る)。これも、メロディや言葉に自信があるが故の“引き算”だと思われる。(なお補足だが、『HELP EVER HURT NEVER』の曲の中で、『帰ろう』と同様にハモりがない曲はあと3曲ある。比較的高い割合だ。藤井風、プロデューサー、編曲家の趣味が反映されているかもしれない。あるいはそれが昨今の流行なのかもしれない。)

調性(キー)は、Aメジャー(イ長調)とCメジャー(ハ長調)を行き来している。
先ほどの構成に合わせて見てみよう。

(■=Aメジャー □=Cメジャー)
■イントロ
■1番Aメロ
■1番Aメロ´
□1番Bメロ
■1番サビ
■間奏前半
□間奏後半
■2番Aメロ
■2番Aメロ´
□2番Bメロ
■2番サビ
■2番サビ´
■アウトロ

これがすごい。
いや、AメジャーにとってCメジャーは「短三度上」の関係にあって(同主調への転調と同じ)短三度上への転調はJPOPにおいて頻出なのでそれ自体がすごいわけではないのだけど、その使いかたが群抜きである。

□が3回も出てくるということは、■と□が切り替わる箇所が6箇所あるということで、それすなわちこの曲中で6回も転調しているということだ。おそらく、多くの人は転調していることすらあまり意識が向かないのではないだろうか。転調を自然に行うには、編曲とメロディの工夫が不可欠であるが、とりわけメロディの工夫がすばらしい。


コードワークについてだが、

イントロ
| DM7 C#m7 | Bm7 Bm7/E |
| DM7 C#m7 | Bm7 Bm7/E|

Aメロ
| AM7 | DM7 | E7 | F#m7 Em7M6|
| DM7M9 | C#m7 CM7 | Bm7 C#m7 | Dm7M9 E7M9 E7-9|
| AM7 | DM7 | E7 | F#m7 A7/E |
| DM7M9 | C#m7 CM7 | Bm7 | Bm7/E E7 |

Bメロ
| FM7M9| Em7 Am11 | Dm7M9 Dm7/G | CM7 C/G F#m7-5|
| FM7 | Em7 Am11 | Dm7 Am/C | Bm7 Em7 A7-9 |

サビ
| DM7 | C#m7 F#7 | Bm7 | Bm7/E A9 D#m7-5 |
| DM7 | C#m7 F#7-9 | Bm7 | Em7 A7 |
| DM7 | C#m7 F#7 | Bm7 | Bm7/E A D#m7-5 |
| DM7 | C#m7 C#7/F F#m C7M6M9 | Bm7 | E D#7-5 |

間奏
| DM7 C#m7 | Bm7 E |
| FM7 | Em7 | D#M7 | Dm7 G E |

比較的オーソドックスで単純な進行であるが、時系列にしたがった感想を加味すれば、奥行きが出ることに気づく。

■イントロ
美しいリフレインだ。藤井風はピアノがうまい。
4番目のコードをⅡm/Ⅴのオンコードにするあたりツボを押さえている。

■1番Aメロ (鳴っている楽器:歌、ピアノ)
シンプルなトニックから始まり、4番目のコードまでは極めて基本的なコード(Ⅰ→Ⅳ→Ⅴ→Ⅵ)。
5小節目の後半あたりから複雑でおいしいコードがどんどん盛り込まれてきて今後の展開を期待させる。
ここまで歌とピアノだけの弾き語り的構成である。

■1番Aメロ´ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー)
シェイカーが入ってきて、4部音符のビート感がより足される。同時にストリングスが全音符で控えめに入ってくる。徐々に高い音、強い音になって展開を盛り上げている。

■1番Bメロ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー)
突然走り出すようなBメロ。ピアノが8部音符になってよりビート感が増していく。シェイカーは16部音符、32部音符を織り交ぜてさらに細かくなる。転調が非常に効果的で、思考がめぐっていく感覚を音を介して脳にインストールしているかのようだ。歌詞が暗黒期に陥っていく自分を描いているのに合わせて、緊張感を表現している。バイオリンのピチカートが特徴的な音として印象に残る。楽器編成は変わらない。
「大間違い 先は長い」の7小節目でシェイカーとピアノが止まる! ハッと息を呑んで振り返るような空白、その隙間を駆け上がる美しいメロディ。それはクライマックスたるサビへ飛び立つ。その滑走路をクリアリングするかのように歌以外の楽器たちは道を空ける。

■1番サビ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス)
シンバルロールで幕を開ける。なんと感動的なサビだろう。思わず天を仰いでしまう。異国の高い山で急に開けた景色のようにさわやかだ。短調から長調への転調が光となって我々を照らす。ストリングスが伸びやかだ。ストリングス隊の音域が広くなってダイナミクスが効いている。ポイントは、歌を決して邪魔しないということだ。高いストリングスがVに対する♭9など、おいしいテンションを随時入れている。

■間奏前半 (鳴っている楽器:ピアノ)
イントロのリフレイン。ふっと風がやむような束の間。

■間奏後半 (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
リズム隊(ベースとドラム)が入ってきて、全員そろったかたちである。調性の記述で触れたが、地味ながら転調している。『帰ろう』のようなトニック始まりで王道進行の曲はこのように間奏で転調や借用を入れるとダレずに引き締まる。

■2番Aメロ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、シェイカー、ベース、ドラム)
ストリングスがいなくなって、シンプルなバンド的編成。
ベースは空白が多くメリハリのある演奏。ドラムは打ち込みっぽい雰囲気。2拍目4拍目はクローズドリムショットでタイトな演出。なにより、ピアノのプレイが1番とは違い歯切れの良いリズムになっている点も見逃せない。ピアノがうますぎる。

■2番Aメロ´ (鳴っている楽器:歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
ストリングスがまたも控えめにイン。他のバンドはそのまま演奏を続けている。
持論だが、2番AメロはJPOP曲のなかでは特に重要なパートのひとつであり、作編曲の腕が問われる部分であると思う。1番と変化を付けて飽きさせないことが求められる。

■2番Bメロ (鳴っている楽器: 歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
1番のときのようには大きく雰囲気は変わらず、バンド全体のテンションは保ったままBメロへ突入。しかし、ベースは空白を取る演奏をやめ、8部音符の連打でピアノと一緒に新たなリズムを作っている。Bメロ冒頭でストリングスはピチカート奏法のみ。レガート奏法でのストリングスは7小節目でようやく再登場しあの感動的なサビへ一気にテンションを高めていく。
ドラムもキックは落ち着いたままで、徐々にタムやシンバルの手数を増やしテンションを高めていく。最後「生きてきた意味なんかわからないまま」。最後の1拍でスネアの連打(タタタタ)が決定的にサビへの突入を示唆。曲がクライマックスに至る合図である。

■2番サビ (鳴っている楽器: 歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
歌が「ああ」と言い、他の楽器全ても同時に「ああ」と言う。全ての音が歌と一体に鳴っている。キメのフレーズである。すべての楽器が曲中で最高のテンションを発揮している。
しかし、歌を妨げるものが何もない。ボーカルにはオクターブ上の音が重ねられて強化されている。ベースは適宜オカズを入れながらもしっかり下支えするプレイ。ドラムはスネアをオープンにしてのびのびとした演奏だ。「ひとつひとつ 荷物 手放そう」という、この曲でもっとも重要なフレーズに合わせてバンドがリズムを合わせる。


■2番サビ´ (鳴っている楽器: 歌、ピアノ、ストリングス、シェイカー、ベース、ドラム)
「憎み合いの果てに」で、1小節の間、「何が生まれるの」でドラムが怒涛の6連符。「先に忘れよう」で再び1小節の間、スキャットとバンド全体のキメ。忙しい展開だ。
「今日からどう生きてこう」で演奏をやめるバンドたち、歌の余韻が残る見事な去り際。
イントロと同じくピアノだけのリフレイン(タイトルのように、「帰」ってきたのである)。最後は甘いメジャーセブンスの響きでフィナーレとなる(6thの音も入っている)。

以上、見てきたように、『帰ろう』の編曲は、
歌を引き立たせるさまざまな仕掛けがあり、優れている。




『帰ろう』のメロディ


『帰ろう』は、メロディがとてもすばらしい。導入でも少し触れたが、この曲のメロディはすさまじい。

実を言うと、JPOP曲においてメロディはそこまで重要な要素ではない。メロディが優れていない曲でも、他の要素が優れていれば十分「良い曲」として認識することは可能である。その上で、『帰ろう』のメロディを評価すると、これはもう、本当にすばらしい。

メロディというものは所詮ただの波である。高いか低いかの組み合わせである。いろんな高さの音を、時間という帯の上に並べてきれいな波を描けるかという営みなのである。

僕は、はっきりいって良いメロディというものがどういうものなのかわからない。『帰ろう』のメロディ全体について、僕が言えることがあるとすれば、全体がダイナミックできれいな波を描いているということと、多少の知識から技術的な点を指摘することくらいだ。

サビのソファミレドシドレソラソが如何に美しい波なのかを伝えたい。が、こればっかりは聴いてもらうしかない。あるいは楽譜を買って見てもらうか。とにかく、ひとは、藤井風は、その美しい波を生み出すことができる。そして聞き手である我々はその波の動きに心を揺さぶられて涙する。なんて不思議なんだろう。そして、なんて可能性に満ちているんだろう。確率論的に言えば、人類がこれまで生み出してきたメロディは、宇宙に存在しうるメロディのまだほんの一部だろう。そのなかの一筋を藤井風は見つけた。そして我々はそれを、藤井風という鏡に反射する光として見つけたのである。

感傷的な記述はこれくらいにして、技術的な指摘を軽く行いたい。

Cメジャーで始まる「大間違い 先は長い〜」の「き」はコード的にはAm/Cだがソ#で、ハーモニックマイナーがサブリミナル的に長調を予感させている。「忘れないから」がAメジャーへの転調を挟んで「ああ すべて忘れて」と続くが、転調前後の「ら」と「あ」は一曲を通してどちらもミの音で、実直に転調に対するコバ処理が行われている。

僕はさして音楽理論に明るくない。したがって高度な説明はできない。Bメロからサビへの流れが、先に示したとおりに技術的に優れている。先ほど述べた「美しい波」は、もしかしたら楽譜の音符の黒丸をたどることでも感じられるかもしれない。

なお、転調のEm7→A7→D△7という動きは、いわゆるツーファイブをサブドミナントへの進行へ応用したものであり、D△7への引力が非常に強い。自然な転調に一役買っている。

(余談だが、この進行をaikoはかなり頻繁に使用しており、僕の調べによると約9割という驚くべき割合でこれを自身の曲に使用している)



『帰ろう』の歌唱


JPOP曲において、歌唱はかなり重要な要素だ。ここでいう歌唱とは、「どの声がどのように歌うか」という問題のことを言う。一般に、「ライブバージョンで大変感動した。」とか「歌番組で聴いたらいまいちだった。」などはよくある感想である。同じ曲(歌詞、メロディ、コード)、同じ編曲でも、歌唱によって全体的な良さは左右されるということが言えるだろう。

“良い歌唱”とはどのような歌唱だろうか。僕が思うに、

①声の個性が生かされ
②表現が豊かで
③コントロールとテクニックがある 

という条件を満たすのが歌だと思う。

まず、声の個性について。

無論、声は千差万別で、誰しも違う声を持っているが、強烈な個性が表れる歌には誰もかなわない。声に個性があるひとは、なにを歌ってもそれを“自分の曲”として歌うことができる。

まるでファッションを着こなすように、最初からその人にフィットするように作られたと錯覚してしまうほどに曲を着こなしてしまう。10代のころからYouTubeにカバー動画をあげ続けている藤井風については、もはやこの点は説明不要かもしれない。藤井風のカバーはどれも藤井風の曲に聞こえる。

なお、声の個性には声色だけでなく歌唱の方法も含まれるので、必ずしも先天的なものではない。が、藤井風のようなビッグバンに出会うと、どうしても天性の才能の一部に声の個性が組み込まれているように感じる。

次に、表現の豊かさについて。

表現の豊かさは、二通りのアプローチがあると思われる。第一に、見せ方が上手い場合。簡単に例えるなら、悲しい歌を歌うときに悲しそうな声をうまく出せるということである。
第二に、感受性が高い場合。例えば、悲しい歌を歌うときに本当に悲しい気持ちになることができるということである。多くのひとは前者に努め、それなりの結果を出す。が、まれに後者がきわまって、魂と声が繋がっているような歌をうたうひとがいる。そのような歌に触れられることは本当に幸せである。

次に、コントロールとテクニックについて。

前提としてJPOP曲は音律や音階から逃れられないので、原則的に音程を正確にコントロールすることが求められる。

が、例外はいくらでもある。むしろ、ピッチ(音程)は合っていればよいというものではなく、正確さに緩急をつけて、要所であえてハズしたり、全体的にあまりピッチが合っていなくても“ここぞ”というところではピタリと合わせるようなカンのよさによって、不正確さを補うようなやりかたがうまくいくことが多い。テクニックについては、表現の豊かさと重なるところがあるが、巧みにやる者もいれば自然とこなす者もいるという感じである。




歌唱の全体像


先ほど提示した基準に照らすと、『帰ろう』の歌唱は、声の個性や表現の豊かさが十分に発揮され、コントロールやテクニックも申し分のない、優れた歌唱だということができよう。藤井風は『帰ろう』を完全に自分の歌として歌っている。

当たり前のようであるが、当たり前ではない。

要はほかの誰が『帰ろう』を、歌っても藤井風にはかなわないということである。尾田栄一郎っぽく描いたルフィとか、村上春樹っぽく書いた「やれやれ」が本人にかないっこないというのと同じである(あまり良い例が思いつかなかった。)表現の豊かさもすばらしい。これは部分を具体的に指摘したほうが説明しやすいので次の項目で時系列に従って解説する。テクニックやコントロールも同様に具体的に指摘していく。

■Aメロ 
息を混ぜた囁くような歌唱。思いのほか弱く歌わないとこの感じにはならない。ア行の発音に癖をつけて歌っているのが藤井風っぽい。
最初はオンタイムのリズムで歌っているが「交わらないのなら」で少しモタらせていて、藤井風に特徴的な後ろノリの片鱗が見える。 

■1番Aメロ後半
少し声量が上がる。シェイカーに合わせて歌唱のリズムはよりタイトになる。単調にならないよう、緩急をつけて遊んでいる。「求めて」「失うものなどない」「持ってない」の要所で強弱をつけてメリハリや展開を演出している。こういう力を僕は表現力と呼んでいる。

■1番Bメロ
伴奏が8ビート主体に、歌唱が16音符主体に変わったのを受けて、軽やかなリズムで歌っている。たとえばこのあたりを「それじゃ~~それじゃ~ま~た~ね~」とレガート風に歌った場合はこの良さは出ないだろう。割と早いパッセージなので個人的にはちょっと難しいと思う部分だ。
「響けども」の「も」で若干ピッチがシャープぎみに揺らいでいる。つまり音程が完全に正確というわけではないが、この揺らぎは心地よい揺らぎだ。ちょっとブルースっぽいニュアンスが足されているというふうに、好意的に捉えられる揺らぎである。
「大間違い 先は長い 忘れないから」の「ら」。これまで出てきた中で最高音で、最も口を開く“ア”の音で、声が響いている。

■1番サビ
「ああ」。「ら」から一息続きでEの音が連なるロングトーン。前述したが、藤井風は“ア”の発音に癖がある。伸びやかで太くさえぎるものが何もない、一番得意な音を伸ばしているような印象を受ける。「忘れて帰ろう」で声を張っているところも良い。「あの傷は疼けど この渇き癒えねど」の「ず」「え」で引きずるようなモタりを作っているのも、彼が抱える“痛み”の表現として優れている。
「吹き飛ばそう」の「ば」はF#でこの曲の地声でのほぼ最高音。また“ア”の音だ。まさに吹き飛ばすような突き抜ける発声。
言葉を身体の操作によって表現している様子が音として録音されている。メロディの構造にも言及すると、直前の「と」の低い音から長9度離れた「ば」への跳躍も吹き飛ばすようなニュアンスをつくっている。「さわやかな」の「さ」。また“ア”の音だ。以後ずっとサビの頭と9小節目は“ア”の音のロングトーンだ。
「風と帰ろう」。1周目とは違って甘い裏声! 「さわやかな風」という言葉のとおりではないか。魂と言葉と声が繋がっている。「優しく降る雨」の「さ」のモタり、「雨と帰ろう」の「う」の装飾音符も1周目と違うニュアンスを作っていてうまい。
「憎み合いの果てに何が生まれるの」はグリッサンドを多用している(という言いかたでいいのかわからないが)歌いかたで、音符同士がネットリ繋がるようなスタイルだ。
「生まれるの」の裏声は曲中の最高音。その次の「私」は、もうテクニックとかの話ではないが、よい。言い方がカッコイイ。「私が先に忘れよう」は、さっきまで張っていた声と打って変わってリラックスした歌いまわしだ。
語尾の「う」は移動ド表記でドの音で終わっているが、終わりに小さいラがついている。
実はこの“ドを伸ばしてラがついてくる”歌い方はこの曲では何度も出てくるが、いちいち指摘するとキリがないからここだけにしておく。
これをやるとR&Bっぽい感じがでてかっこいい。宇多田ヒカルとかもよくやっている。

■2番Aメロ前半
リラックスした雰囲気はあるものの1番Aメロよりは強めの発声だ。
2番のAメロは全体的にフェイク(即興でメロディを変えた歌い方)をつけて自由に歌っている。
「こぼして」、
「最後くらい」、
「私のいない世界を」「眺めていても」の語尾なんかがそうだ。
歌唱だけをとっても1番とまったく同じではなく飽きさせない構成を作れるボーカリストとしての力量を感じさせる。
「何一つ」と「変わらず回るから」の強弱のギャップもセクシーでよい。

■2番Bメロ
「一人行く」で1番と同じ音程の揺らぎ。1番よりもより意図的にやっている感じがする。
「わからないまま」→「ああ」は、再三再四指摘している“ア”の音の登場だ。

■2番サビ
「ああ」が響きわたる。
伸びやかな歌唱。
1番サビと多少メロディを変えて歌っている。

「胸を張ろう」の歌いまわし、スキャット、フェイク、言いかたはなんでもいいが、この瞬間のこの歌が好きすぎる。注意深く聴いてもらいたい。この力強さ。美しさ。言葉に付与される説得力。「ありがとうって胸を張ろう」という言葉がどう聞こえるか。単純な"ラ→ソ"のメロディを歌いまわしだけでここまでブルージーに聞かせるのは只者ではない。この部分は本当に半端じゃない、ものすごい歌唱だと思う。同時にメロディメイカーとしての気質も感じさせる。一般にスキャットやフェイクができるひとはメロディをつくれるひとだと言われることがある。

次に移ろう。
「待ってるからさ もう帰ろう」、頭は当然“ア”の音だ。「もう帰ろう」の裏声は1番と同じ。
「幸せ絶えぬ」の「あ」の遅れも1番と同じだ。心なしか1番よりタメが強くなっている気もする。
その後、「憎み合いの果てに何が生まれるの」の「れる」は、地声でこの曲の最高音だ(G#→A)。
登場が三回目になるメロディだが裏声ではなく声を張ることでクライマックスを演出している。
「私 私が先に 忘れよう」 切ない感情がこもっている。
軽いスキャットが入る。低いレで締めているのがかっこいい
「ああ 今日からどう生きてこう」
冒頭1番Aメロと同じようなささやく声に“帰る”ことで歌が締めくくりになる。



『帰ろう』を歌う藤井風のヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性


そもそもヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性は曲の良さに関係あるのか?ヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性は、いずれも直接的に音を構成していないので、厳密には音楽の要素ではない。しかしJPOP曲においてそれらは重要である。なぜなら、JPOP曲は、厳密な意味での音楽だけを楽しむものではなく、もっと総合的なエンターテイメントだからである。

曲の作り手や売り手は、当然にヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性を曲と併せて発信をしているからして、我々もそれらを作品の一部と考えて一緒に鑑賞するのが正しい態度だと僕は考える。

例えばあるレストランの価値を評価する場合、その料理の味だけでなく、外観、内装、サービス、盛り付け、空調やBGMなども評価の対象になるだろう。

同じようにJPOP曲を評価するにあたっても、どんな顔でどんな背景を持ったひとがどんな服を着てどんな動きで歌っていて、どんなジャケットで、どんなビデオで… といった、曲と同時に発信されている要素をすべて受け入れて作品の要素として考えるべきだ。

さらに例えると、椎名林檎の『本能』はナース服でガラスを割っているあのヴィジュアルがあるから記憶に残るし、サカナクションの『新宝島』はあのビデオがあるからこそあのキャッチーな感じがするし、Perfumeの曲はあの経歴をもつあの3人があのダンスで歌っているからこそ輝く。


で、藤井風ヴィジュアル、キャラクター、ストーリー性だが、それらを知るならこれを見るのがわかりやすいだろう



経歴を要約すると、
・岡山県("Very country side of Japan" )で子供のころからピアノを演奏していた
・小学生のころからカバー動画などをYouTubeに上げ始めた
・2019年に渡米、帰国、アルバム製作
・2020年5月にファーストアルバム発表

こんなところだろうか。

藤井風は見た目もカッコイイし、信念がある
この映像で垣間見える彼の信念や思想やライフスタイルに共感するし、憧れる。


結び


藤井風についてのホットなニュースは3つある。ひとつは、序盤で触れたように、武道館のライブ開催が決定したことだ。同月28日からは第二段の申し込みがあり、またこれらの申し込みと平行してライブ配信チケットの受付も行われている。

ふたつめは、ファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』のLPが2020年9月23日に発売になることだ。

みっつめは、ピアノスコア(楽譜)が発売になることである。これは2020年9月30日発売が予定されている。僕はピアノを弾けないが、以上が現時点でのホットなニュースだ。

これからの藤井風は、どんな存在になっていくだろう。なんとなくであるが、次回作のセカンドアルバムがリリースされるまでさほど時間がかからないような気がする。これまたなんとなくであるが、2年位したらLAあたりに移住する気がする。とにかくまだまだ売れると思う。今後が非常に楽しみだ。







2020年9月22日放送の報道ステーションにおけるインタビューで、藤井風はこう話す。



死ぬときのことを考えるのは全然
ネガティブな話とか怖い話じゃなくて
死ぬっていうか
帰るときのことを考えることが
じゃあ今 どうやって生きていけばええか
考えるきっかけになるし
より良い今を みんな
生きていけるんじゃないかなと思う

このコメントがどういう文脈から出てきたものか正確なところはわからないが、少なくとも動画を素直に見る限りでは、自身の活動のスタンスについて話している場面である。『帰ろう』で語られているメッセージは、藤井風自身の音楽人生だけでなく、人生そのもののことまで("not only my music life, but my entire life")関わる、とても重要なものだということが改めて明らかになったように思う。


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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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