Hey, Siri! お尻はいくつ?

2021/07/01

essays

t f B! P L


あなたは『ドラえもんたち』というフレーズを聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。

この素朴な命題に関して、週の始まりから三日を要して昼休みを惜しみなく投入された猛論の結果、「お尻はひとつ」という真実が確認された。ちょっとこの話に付き合っていただきたい。




冒頭の一文が、経理のヴィクラムくんから発されたのが月曜日の朝である。そして今日、水曜日の昼休みに終戦するまでに、侃侃諤諤の舌戦が弊社にて勃発した。

『ドラえもんたち』というフレーズからは、ドラえもんを筆頭に、のび太、しずかちゃん、スネ夫、ジャイアンのいる例の一行を想起する、というのが、半数を超える意見だった。しかし、経理のヴィクラムくんをはじめに、これとは異なる意見を述べる者も散見された。

『ドラえもんたち』というからには、複数人のドラえもん、つまりドラえもんが何匹もいると捉えたほうが自然である、という見解である。

この二つの意見に認められる相違について、少々ながら考え、それが激論に発展した内容を、報告も兼ねてここに書き残しておきたい。




確かに、高校英語で習った内容を復習してあてがってみると、ヴィクラム派の見解である「ドラえもんたち=複数人のドラえもん」は正確に適切である。そう、抽象名詞や物質名詞を担う名詞の多くは不可算名詞であるのにたいして集合名詞はいかなる場合においても複数として扱われる例のアレである。

言語学において、people「人々」に代表されるこの「数(すう)」の考えは、一部の例外を除き単数と複数に分かれる語形変化で、英語にはclothes「衣服」、series「系列」といった複数専用に形成された名詞も存在する。そういう意味では、英語における名詞は確かに「その語が指示する対象の数量の相違」を表している。英語でcatと言ったら一匹の猫を指すし、catsと言ったら何匹もの猫を指している。ならば、『ドラえもんたち』は何匹ものドラえもん、あるいは『ザ・ドラえもんズ』のような集合体を意味することが自然である。




それではいったい、『ドラえもんたち』を、のび太、しずかちゃん、スネ夫、ジャイアンを含めたよく見るあの一行と結びつけた過半数の意見は、なんだったのだろうか?




そこで登場するのが『お尻はひとつ? それともふたつ?』問題である。

説明しよう! 『お尻はひとつ? それともふたつ?』問題とは、下着として着用する枚数や生態上の核となる部分が一つに集約されることに由来する【ひとつ派】の主張と、外見上の特徴や筋肉の構造が二つに分かれていることに論拠を持つ【ふたつ派】の意見とが繰り広げる、決着を見ない喧々囂々のデッドヒートである。

さきほど僕は、「数(すう)」の考えが一部の例外を除き単数と複数に分かれると述べた。そして、この問題を一刀両断するために必要なファクタこそが、その【一部の例外】なのだ。

それが、双数である。

両数とも言われるこの概念は、数(すう)の文法範疇を持つ言語において両対のものを数える場合にとる形態である。たとえば日本語で、目、耳、足など、一対になっているものや代名詞に用いる「両目」「両耳」「両足」などの形だ。

そこで、双数にたいする認知を詳らかにするため、さきの『ドラえもんたち』問題において過半数に至った「ドラえもんたち=ドラえもんをはじめとするのび太などの登場人物」を主張する者たちに聞き取り調査を実施した。

すると結果として、彼らは「目」「耳」「足」「腕」などに関しては紛いなく【ふたつ派】であり、「鼻」「口」に関しては【ひとつ派】であることがわかった。ただ、興味深いことに、「唇」について彼らの多くは【ひとつ派】を立場取る見解を示したことは、特筆しておかなければならない。

ボイトレやリップロールなどをやったことのあるひとには馴染み深いだろうが、音声学的見地から意識すると唇は「上唇」と「下唇」の二つ、つまり【ふたつ派】が正しい。これはあくまで音声学の考えに則った正解ではあるが、この「唇」を上と下にわけて捉えるのが【一部の例外】であるところの双数であり、それらを併せて「両唇」という表現が日本語では可能だ。上下両方の唇をつかって調音される子音のことを「両唇音(りょうしんおん)」と表現するが、これは音韻学の専門書にも載っている言葉である。




話を戻そう。尻はどうだろうか。

日本語のネイティブスピーカーで、「尻」をなんらかの尺度や規範に則って双数に分け、「両尻」という表現をするひとは少ない。国語辞典にも、「両尻」はもちろん、短い単語としてその概念を的確に意味する気の利いた語彙は見つからない。つまり、日本語において尻は【ひとつ派】の捉える概念を意味しており、それはつまり文字どおり一つなのである。

これは日本語において、名詞について複数を表す「〜たち」「〜ら」「〜ども」といった接尾辞さえ、文法上の数を表現するものではないことも示している。

つまりこの認識を『ドラえもんたち』の問題に当てはめると、「猫たち」は何匹もの猫を指しているとは限らず、猫を含めた犬、猿、鳥などの総合的な動物群を表している可能性も視野に入れなければならない。「佐藤くんたち」は複数人の佐藤くんではなく、佐藤くんを代表にとるグループに複数人が属するという考えかたのほうが自然な文脈が存在するはずだ。したがって『ドラえもんたち』も同様に、ドラえもんを筆頭にしたのび太やしずかちゃん、スネ夫、ジャイアンを指しているととることもできる。

『ドラえもんたち』において発生した認識の相違は、英語・印欧語的な思考か、それとも「双数」のある日本語的な思考か、というところに左右されるのだ。


まぁ、もっとも、これは経理のヴィクラムくんがインド出身で数字の感覚が敏感だったことに端を発して、双数の概念を経て、「お尻はひとつ」に着地したという話に過ぎないので、結論がなんとなく出るころにはこの舌戦は尻すぼみになっていったわけなんだが。

うまいこと言うなよ。

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好きな言葉は「アイスクリーム4割引」、嫌いな言葉は「ハーゲンダッツは対象外」です。趣味はドラえもん考察。読売ジャイアンツのファン。高2のとき現代文の全国模試で1位に輝くも、数学に関しては7の段があやしいレベル。

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