そう、2006年だった。あのころ僕は中学三年生で、洋楽に詳しい先輩によく海外のロックレジェンドを教えてもらっていた。洋楽ロック、とりわけグランジやオルタナティブ・ロックの潮流のなかからレイジに触れた多くのひとは、ファースト・アルバムについての感傷を携えているが、この先輩はレイジについて話すときによくセカンド・アルバムを引用した。
思い返せば彼はニルヴァーナに関しては『ネヴァーマインド』ではなく『イン・ユーテロ』だったし、スマッシング・パンプキンズに関しても『メロンコリー、そして終りのない悲しみ』よりも『サイアミーズ・ドリーム』を好んだ。もしかしたらそういう偏屈な姿勢があったのかもしれないと、いまにして振り返る。
いずれにせよ当時の僕には、ポリティカルな訴えかけよりもむしろパンクなアティテュードが刺さり、どちらかと言えばそういう連綿と続くロックのなかのひとつの系譜として、楽曲の読み解きやメッセージの解釈をこなしてきたように思う。
そういったなかでそのインタビューを観た個人的な感想としては、もちろんアルバムに込められた政治的な意味あい(ジャケットのアートワークについてとか)やバンドとしてのメッセージも、当然のように興味深いんだけど、ザックが少年時代にどのような音楽に触れていたのか、そしてどんなバンドやアーティストに影響を受けたのか(ヒップホップを生楽器で演奏するというアイデアについてだとか)、そういった質問に対して子どものような笑顔で答えるシーンが印象的でしかたがない。
時勢事情が混迷するとき、いつもレイジの音楽を必要とする人間は現れる。それは政治的イデオロギーだとか、社会的インフルーエンスだとか、そういったものではなく、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンというバンドの音楽が持っている扇情的な衝動や、アトラクティブな共感性によるところが大きい。
もちろん、僕にはいつだってレイジの音楽が必要ですけどね。だってどんな精神状態で聴いても最高にカッコいいんだもの。
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