もっとも、最終的に僕が着手したのは、現実にあるものについてではなくて、自分自身で考え出した動物や植物についての図鑑である。しかし、自然にあるような感じのものを考え出すのは予想以上に困難な作業で、結局は表紙っぽい絵を描いて、植物をひとつつくっただけで終わった。「毒がある」「花はだいだい色」 「水棲である」などと、現実にある要素を模倣して組み合わせるだけにしても、自分の頭の中にある自然のようなものを可視化するのは難しい。
芸大で文章をひたすら書いていた大学生時代、文芸を志すひとつの目標として、図鑑をつくりたいとは予々思っていたが、その夢もついぞ叶わなかった。いまも図鑑とか、便覧や百科、大全なんかには、言い知れぬ魅力を感じている。
ともあれ図鑑には、そういう「存在する事象」を集めたものと、「想像上の空論」を集めたものがある。前者はいまも書店にたくさん並んでいるし、後者の筆頭はレオーニの『平行植物』だろう。
さて、そんで、ポッドキャスト『ネオ五条楽園』の名物(?)ZINE「Goraku Magazine」シリーズのvol.3“サクラー図鑑”。これは、図鑑でいうとどっちなんだろうと、ちょっと考え込んでしまった。
ヤブタによるイラストは、原則的に実在の人物をモチーフに描かれていて、雰囲気や髪型などの参考写真を募ったことも公言されている。
ただ、それはつまり、参考写真をもとにヤブタの想像や空想が発揮されていることも同時である。
僕は図鑑が好きだ。図鑑に掲載されている鮮やかな写真や史上の文献、複写などは眺めているだけでも気分が高揚してワクワクする。そこに詳らかに添えられている解説文やコメンタリーはいつも未知を教えてくれて、歴史や世界の奥底を見せてくれる。
サクラー図鑑は、実在と存在のちょうど真ん中を気持ちよく射抜いている。おなじ空のしたで確かに生活をしていて、番組を共有するリスナーであると同時に、ラジオネームでしか認知していない想像上の“あのひと”たちの集合体である。
以前僕は『ネオ五条楽園』という番組について、「素人ポッドキャストのなかでもっとも難しい“エピソードトーク型”である」とした。寄せられるエピソードやそれらをもとに展開されるエピソードトークによって、僕のなかにはいまもイマジナリーサクラーたちが数多く存在する。
そのひとたちがこうして参加形式で「図鑑」になるのは不思議な気分で、なんとなくその末席に自分が据えられているのも面はゆい。(いや、希望して参加したんだけども……目的が頓挫してしまったから……なんとなく……)
想像力が、場合によっては現実に匹敵する力を持つと言うことを端的に知らしめるZINEである。ヨウイチの寄せた紹介文には、「こういう話があればサクラーは喜ぶし、意味があると思ってもらえる」というような相対的な要素がない。ヤブタとヨウイチ、二人の頭のなかにあるサクラー図像や人物像が忠実に描かれていくほど、その純粋な強度が増す。現実に僕らが日々くりかえす人間関係や出会いが、ネオ五条楽園との真剣勝負を挑まれているようで、ときには固唾を呑んで細かいところまで見てしまう。
CDの歌詞カードとおなじサイズの小さな図鑑である。12cmのマキシCDで育った90年代前半生まれの世代には、どれだけレコードやカセットテープを愛そうと敵わない思い入れがある。
いやまあ、このエントリーを読んだからと言って、買ってくれよ、な!みたいなことは一切言わないけども、ちょっとツイッターに書くには長すぎたので。ここに。
ともあれ図鑑には、そういう「存在する事象」を集めたものと、「想像上の空論」を集めたものがある。前者はいまも書店にたくさん並んでいるし、後者の筆頭はレオーニの『平行植物』だろう。
さて、そんで、ポッドキャスト『ネオ五条楽園』の名物(?)ZINE「Goraku Magazine」シリーズのvol.3“サクラー図鑑”。これは、図鑑でいうとどっちなんだろうと、ちょっと考え込んでしまった。
ヤブタによるイラストは、原則的に実在の人物をモチーフに描かれていて、雰囲気や髪型などの参考写真を募ったことも公言されている。
ただ、それはつまり、参考写真をもとにヤブタの想像や空想が発揮されていることも同時である。
僕は図鑑が好きだ。図鑑に掲載されている鮮やかな写真や史上の文献、複写などは眺めているだけでも気分が高揚してワクワクする。そこに詳らかに添えられている解説文やコメンタリーはいつも未知を教えてくれて、歴史や世界の奥底を見せてくれる。
サクラー図鑑は、実在と存在のちょうど真ん中を気持ちよく射抜いている。おなじ空のしたで確かに生活をしていて、番組を共有するリスナーであると同時に、ラジオネームでしか認知していない想像上の“あのひと”たちの集合体である。
以前僕は『ネオ五条楽園』という番組について、「素人ポッドキャストのなかでもっとも難しい“エピソードトーク型”である」とした。寄せられるエピソードやそれらをもとに展開されるエピソードトークによって、僕のなかにはいまもイマジナリーサクラーたちが数多く存在する。
そのひとたちがこうして参加形式で「図鑑」になるのは不思議な気分で、なんとなくその末席に自分が据えられているのも面はゆい。(いや、希望して参加したんだけども……目的が頓挫してしまったから……なんとなく……)
想像力が、場合によっては現実に匹敵する力を持つと言うことを端的に知らしめるZINEである。ヨウイチの寄せた紹介文には、「こういう話があればサクラーは喜ぶし、意味があると思ってもらえる」というような相対的な要素がない。ヤブタとヨウイチ、二人の頭のなかにあるサクラー図像や人物像が忠実に描かれていくほど、その純粋な強度が増す。現実に僕らが日々くりかえす人間関係や出会いが、ネオ五条楽園との真剣勝負を挑まれているようで、ときには固唾を呑んで細かいところまで見てしまう。
CDの歌詞カードとおなじサイズの小さな図鑑である。12cmのマキシCDで育った90年代前半生まれの世代には、どれだけレコードやカセットテープを愛そうと敵わない思い入れがある。
いやまあ、このエントリーを読んだからと言って、買ってくれよ、な!みたいなことは一切言わないけども、ちょっとツイッターに書くには長すぎたので。ここに。
後記:
ちょっと自由に動けないので開封が遅れてしまいましたが。一時帰宅の際に、サクラー図鑑と一緒に入っていた同梱物、受け取りました。心当たりのあるサクラーのかたがた、本当にありがとうございます。ひとまずこの場は、とりいそぎお礼にて。
ちょっと自由に動けないので開封が遅れてしまいましたが。一時帰宅の際に、サクラー図鑑と一緒に入っていた同梱物、受け取りました。心当たりのあるサクラーのかたがた、本当にありがとうございます。ひとまずこの場は、とりいそぎお礼にて。
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